国谷裕子『キャスターという仕事』

曇。

立花隆さんが亡くなったそうである。わたしはそのことを全然知らなくて、老母から聞いて初めて知った。一般には「知の巨人」などと呼ばれ、その名称でいまの知識人・学者その他からは同時に半分バカにされていたというか、よく揶揄されていた方という印象である。著作リストを見ると、10冊くらいは読んでいるかな。特に学生のときによく読んだと覚えていて、『脳死』などはこれでネタを仕入れて、大学の森毅先生の雑談ゼミで無双したなつかしい思い出もある。あの頃は、自分の知的能力に自信をもち、知性を存分に使うのが楽しかった。謙虚であり傲慢でもあったろうが、いずれにせよ青春の特権を存分に行使したのだと思う。なんてことはどうでもよいが、まあそんなこんなだけだったら、ここに記すことはなかっただろう。わたしにとって立花隆さんといえば、『武満徹・音楽創造への旅』(2016)の著者としてだ。これは2020年の2月から6月にかけて、長い時間をかけて読んだ。武満さんへの膨大なインタビュー(武満さんは胸襟を開いている)を、綿密な取材で補完した大著である。その途中で武満さんが死んでしまい、それもあって完結まで長いこと放置されていたものだ。感想は過去の日記に書いたので繰り返さない。
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本書こそが立花隆の最高傑作であるとわたしは思っているし、武満関連本としても読むべき本の一冊であろう。正直言ってわたしは、立花さんがこれほど現代音楽が「わかる」とは予想だにしていなかった、傲慢な言だとはわかっているが。本書は第26回吉田秀和賞を受賞している。合掌。

晴。昼からひさしぶりに県営プール。泳いだあとに飲む、冷えたスポーツドリンクが気持ちよすぎる。いつもこれが楽しみなのだ。


国谷裕子『キャスターという仕事』読了。「クローズアップ現代」は1993年に始まり、23年間続いて国谷キャスターは番組を降板したが、それはほぼいわゆる「失われた20年」に重なり、その間に日本のあり方は大きく変わった。国民の平均所得は200万円減少し(これは本書の記載だが、統計の取り方、処理の仕方でいろいろな数値が出得る筈だ)、非正規雇用が当り前のことになって雇用は不安定化した。ふとんで眠り、ふつうにご飯が食べられるといったような、せめて「普通の生活がしたい」という若い人たちが増えた。そのいわば国が没落していく姿を、「クローズアップ現代」は見つめてきたのかなと、本書を読み終えて思うところがある。もちろん、この番組は、そんな単純化を許さないものだったわけだが。
 本書はわたしの考えていないところを刳ってきた。ジャーナリズム、報道とは何か。さらには、テレビ報道とは。とても硬派な本だった。また、わたしは、人々と共同で何かを作り上げていくという経験をしていないなと、そのことをあらためて認識させられた。ただ、わたしはそれがいけないことだとは即断しない。わたしのように、孤立化、アトム化していく人間は、この国においてこれからますます増えていくことであろう。そうしながら生きていくという、ひとつの実験もまた必要であると思っている。いずれにせよ、本書はわたしには簡単に消化できる書物ではない。よい本を読んだなと思う。

中国の若者に広がる「寝そべり族」 向上心がなく消費もしない寝そべっているだけの人生(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース
これはわたしの時代が来たか? というのはもちろん冗談だが、それにしても「寝そべり族」とはね。ここには少々の社会批判がある。ここで何もせず寝そべってだけというのは、ひとつの価値観の主張としてなされているのだ。わたしが日々ごろごろしながら生きているのは、積極的主張ではない。じゃあ何だろう。知らねーよ、そんなこと。
 しかし、この中国のムーブメントは愉快だ。さすがは中国と言いたい気がする。とてもよい。