自分を否定することを肯定して生きる・続

曇。

昨日書いたことの続き。
しかし、本当にそうか? わたしは自分に生きる価値がないことをそのまま肯定し得て、安定することができた。これは「自分を否定することを肯定して」いるといえないか。もっとも、安定は一時的なものかも知れないし、いずれにせよむずかしいことである。ま、前にも書いたが、わたしは「生きる価値」という言葉があまり好きでない。「生きる価値」がなければ、死なねばならないのか? そのような「価値」とは、つまるところ何だ? たんに、「社会」というものが要求してくるものだろう。
 自己肯定感という罠。それから、「何者かになりたい」ということ。これらの(ネット的)マジックワードからは、自由にならねばならない。こんなことは本当は10代で解決すべきことだが、それは実際にはなかなかにむずかしいことである。たいていは誰でも「大人」になると、それらを密かになぐさめる仕方を身につけるというわけだ。それを一生続けられれば幸いということである。
 いや、うまく書けないな。むずかしい。
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「社会」というのはたんなる人間の集合体ではない。それ以上の、何か非常に厄介なものだ。我々のまわりには、自分がふつうに日々接している人たちがいる。「社会」は、それらの生活圏とちがう、もっと抽象的で目に見えないものだ。フロイト的「超自我」のようなもの。しかし、そのような「社会」に具体的に触れていける人たちもいる。才能というべきだろうな。

スーパー。

長時間、昼寝。

Noli me tangere 我に触れるな、って感じ。

NML で音楽を聴く。■マーラーの「さすらう若人の歌」で、メゾ・ソプラノはブリギッテ・ファスベンダー、指揮はジュゼッペ・シノーポリフィルハーモニア管弦楽団NML)。

ブラームスクラリネットソナタ第一番 op.120-1 で、クラリネットはロン・セルカ、ピアノはアヴィラム・ライシャルト(NML)。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十三番 op.57 で、ピアノはヴァルター・ギーゼキングNML)。 
夜。
シューベルトの「さすらい人幻想曲」 D760 で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテルNML)。

マーラー交響曲第八番で、指揮はベルナルト・ハイティンクロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団NML)。