四方田犬彦『世界の凋落を見つめて クロニクル2011-2020』

晴。空青し。
早起き。昨日は脳みそに異物をいっぱい注入したので、同じところをぐるぐる廻っている感じから解放されてやはりよい。鬱勃たる感というか。今日は安んじてぼーっとしていよう。

スーパー。


昼から、珈琲工房ひぐち北一色店。四方田犬彦『世界の凋落を見つめて クロニクル2011-2020』を読み始める。圧倒される。何という膨大な人文学的教養と、鋭い知性。それに、文章がうまい、というよりは、ほぼ完璧な散文というべきか。読む前は、わたしのいま感じている何かの「凋落」を、これは証明してくれる本なのかなあと思っていた。しかし、そうではなかった。四方田さんが感じている「世界の凋落」は、つまりは世界的な「知性と教養の凋落」であり、わたしもまた無知と愚かさでそれに加担しているものだったのである。本書に感嘆すれば感嘆するほど、自分の「罪」を証明しているようなもので、じつにわたしの格好が悪い。
 そう、四方田さんはいつもと同じだ。あまりにも知識と行動力があり、頭がよいために、他人がバカ、愚かに見えて仕方がない、というやつである。そして、自分だけは「世界の凋落」に加担しまいという意志だ。世界中を飛び回りながら四方田さんは、「正義」を語る安い知識人たちに「本物の知性」を突きつけてみせる。こういう本を、我々愚人はどう読んでみせるべきなのか。まあ、つべこべいわずにただ啓蒙されておればよいのかも知れない。
 そうそう、2012年における吉本さんへの追悼文(これは本書出版時における書き下ろしなのだが)には感動させられた。四方田さんはここまで頭だけでわかっているのにな。もしかしたらこれは、オマージュに見せかけた吉本隆明批判なのかも知れないなとすら思う。収録された2004年時の吉本さんの顔写真(レバカツを食っているところ)も、たいへんによろしいものでした。

 
夜。
四方田犬彦『世界の凋落を見つめて クロニクル2011-2020』読了。「凡庸なる人生」と題された文章にはさすがにびっくりした。電車の中で、猿のように神経質にスマホを弄っているサラリーマン。定年後に野球チームを作るような、そんなクズどもが死ぬのと同じく、この冴えた私も死なねばならないのだ。何という厳粛な真実と滑稽! その死の平等さが凡庸なのだ、と四方田さんはいう(p.241)。これほど一般人を見下せるとは、エリート意識もここまでくると、すごいものだな。また、「ジョギングの社会階層」という文章。「ジョギングをする者は、貧乏人でも金持ちでもない。その中間にあって、万事に小心で、几帳面で、カロリー計算だとか、『地球にやさしい』とか、意味不明の抽象表現を好む中産階級である。もっと簡単にいえば、村上春樹の新刊を買って読むようなクラス。ちなみに村上の趣味もジョギングである。」(p.305)すさまじい皮肉である。四方田さんは、何でここまで中産階級を蔑視するのか、恐れ入ってしまった。
 僕、やっぱり四方田さんは苦手だな。