平野啓一郎『自由のこれから』

曇。

スーパー。

NML で音楽を聴く。■ショパンスケルツォ第一番 op.20 で、ピアノはユンディ・リNML)。

ショパン:スケルツォ&即興曲

ショパン:スケルツォ&即興曲

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ショパンの十二の練習曲 op.25 で、ピアノは孫熱音(ソン・ヨルム)(NML)。■イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第四番 op.27-4 で、ヴァイオリンはマキシム・ブリリンスキー(NMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ協奏曲第二番 op.19 で、ピアノはベアタ・ビリンスカ、指揮はズビグニェフ・グラツァ、ポーランド放送交響楽団NML)。■ペンデレツキの弦楽四重奏曲第一番で、演奏はティペット四重奏団(NML)。 
図書館から借りてきた、平野啓一郎『自由のこれから』読了。三本の対談+考察。参考になるところはそれほどなかったが、著者は頭がよくて真面目な人だな。なかなかおもしろかった。けれども、著者のいう、また現在よく云われている意味での「自由」というのは、わたしにはあまり興味がない。「選択の自由」も「自由意志」も、だ。いまは「自由意志」というのは評判が悪くて、物理学的決定論が精神の分野にも適用されるのが当り前という「雰囲気」になりつつあるように思う(つまり、自由意志は存在しない、と)。さて、それで「責任」のゆくえがどうなるか、わたしは知らないが、これはかしこい人たちがいろいろ考えているので、そのうち一般人を巻き込んで侃々諤々の議論になるかも知れない。というのも、まあどうでもよい(で済まされないが)のだけれど。
 平野さんの「分人」概念は、かつてはちょっとおもしろいと思ったのだが、現在はさほどとも思われないな。所詮、メンタルヘルスの問題にすぎないと思う。いや、それを「所詮」といっちゃあ、いけないのかも知れないが。いまは人間の中身がない時代だ。学者も知識人も一般人も、我々は精神的にきわめて貧しい。言葉が多すぎるのだ。言葉を自分だと思っている。そして、感情が浅くて幼稚だ。


夕方、散歩。

ウチのアジサイ










マメグンバイナズナらしい。

夜。
録画しておいた、東大寺二月堂の修二会の映像(第二部)の、「達陀」(だったん)その他の部分を見る。
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