仮想世界で生き始めているということ、死の隠蔽

曇。

一心法界を内部構造に分解して再び組み直すのに、アニメはとても修行になったな。わたしが既存の自分を壊すのに役に立ったといえるだろう。ま、わたしは近代だからね。

スーパー。

ごろごろ。


飽きもせず、いつもと同じことを繰り返すけれど。
ぶ厚く我々の精神を覆っている幻想の集積を「仮想世界」とすると、我々はまさに仮想世界で生き始めているということだ。現実は、雲のように我々をぶ厚く覆っている幻想の向こう側にある。現実からリアルを捉えていくには、幻想のぶ厚い雲を解体する特殊なスキルが必要だが、そのスキルは忘れられてひさしい。我々は、現実から立ち上がったリアルを捕まえることがもはやむずかしい。わずかに苦痛や死こそが、リアルの存在を思い出させるのかも知れないが、その死も、「自分の死はない、意味がない」というもっともらしい言説によって現実からパージ、隠蔽されようとしている。

我々にまず第一に必要なのは「考える」ことではない。むしろ、解体することである。解体して、要素(モナド)のコンステレーションに還元すること。考えるのはそこからだ。

詩。「詩のようなもの」は氾濫しているが、詩はない。単位要素のコンステレーションとはつまり詩である。

散歩。今日は感覚がすばらしかったので、写真はテキトー。歩いていて楽しかった。









カワトンボを今年初めて見た。モンシロチョウたちが乱舞。

夜。
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』最終話まで見る。