吉村栄一『YMO 1978-2043』

日曜日。曇。

毎日夜にアニメを長時間見るという荒行をし続けてもういいかげん疲れたから、ちょっと休憩する。頭の中、アニソンがぐるぐる回ってる。

 
YMO「BGM」(1981)を聴く。

BGM(特典無し)

BGM(特典無し)

いまポツポツと『YMO 1978-2043』を読んでいるのだが、自分がいかに YMO を聴いていないかに呆れる。ライブ盤とか、一枚も聴いていないのではないか。自分が YMO のオリジナル・アルバムでいちばん聴いたのは、この「BGM」だ。ひさしぶりにフル・アルバムを通して、あらためて感激した。すごい射程だな。いまこれを聴くと、わたしが坂本龍一をよく聴いてきたのは、彼がクラシック音楽の全領域をカバーしているためで、また逆に高橋幸宏を聴かなかったのは、クラシックが入っていないという、単純な理由だったというのがわかる。いまからでも幸宏を聴いてもいいかも知れないと思った。でも、ほんとにすごいのはやっぱり細野さんで、学生のときも思ったが、この人は頭がおかしい笑。その射程は教授(坂本龍一)を超えている。これからも細野さんは聴かざるを得ない。
 それからどうでもいいが、自分のいまやっているのは、まったくへんな領域の開拓(というか接合)だなと思う。何か、意味があるのだろうかと、自分で思う。
 しかし、これが40年前のアルバムだとはね。現在はやはりポストモダン以外の何ものでもない。記号、差異のたわむれ。いきづまり。そして、モダンがごっそり抜けている。あるいは、モダンとの低レベルなたわむれで格好つけるのはやめてもらいたいとも心底思う。

スーパー。

晴。暑い。
昼から珈琲工房ひぐち北一色店。『YMO 1978-2043』の続き。


古典新訳文庫の『19世紀イタリア怪奇幻想短篇集』を読み始める。最初の二篇「木苺のなかの魂」「ファ・ゴア・ニの幽霊」を読んだが、なかなかおもしろいではないか! 幻想小説を読むのはひさしぶりだが、もともと好きなんだよね。幻想小説は短篇がいいな。

幻想小説を楽しむには「解体の精神」が必要だ。集積した記号の操作を得意とする秀才には、無理なことである。


日没前、散歩。

ハシドイ。



上二枚、センダン(栴檀)。





 
夜。
吉村栄一『YMO 1978-2043』読了。ゆたさんに勧められて読んでみたが、すごくおもしろかった。僕は YMO のこと、全然知らなかったなあという感想。ただ、YMO のおかげで坂本龍一細野晴臣というミュージシャンを知り、よく聴いてきたのは確かだ。僕はポピュラー音楽についてこれも全然知らないので、本書に出てくる(有名)ミュージシャンたちも、ほとんど知らない人たちだったから、そういう知識のある人だったらもっとおもしろく読めただろう。ひとつ思うことは、伝説化した者たちの過去は、同時代的に見ていたより遥に現在からの方が、大きく見えるということ。だから僕も知らず知らず記憶を改変して、「昔から YMO のファンだったよ」といいたくなってしまうところがあるな。でも、それはちがう。一応、オリジナル・アルバムは聴いているけれど、メンバーのソロ・アルバムではなしに、自分が YMO そのものから大きな影響を受けたかは微妙だ。田舎者だったしね(いまもだけれど)。YMO は、時代的イコンだったが、僕はそういうものを本能的に(?)遠ざけてしまうところがあるし。まあ、本書に出てくる YMO の曲がほぼどんな曲か思い出せるほどには、YMO を聴いたということであろうか。

YMO1978-2043

YMO1978-2043