こともなし

曇。

スーパー。

ある文句の正確な出典を確かめようと『パンセ』を取り出して繰っていたところ、そのうち出典などはどうでもよくなってちょっと読み耽ってしまった。かつての中公文庫で、ブランシュヴィック版が元になっている。600ページを超えるぶ厚い文庫本で、購入時(30年くらい前だろう)740円、いまなら2000円以上するのではないか(確認してみたら新版で1540円、思ったより安かった)。『パンセ』はパスカルのメモの集積で、まあブランシュヴィック版がまとまっていて読みやすいのは確かであろう。かつて一応通読はしているが、いまは冒頭二章の「精神と文体に関する思想」「神なき人間の惨めさ」あたりを適当に拾い読みしてみただけである。面倒くさそうな文章は読まない。誰か言っていた、パスカルはいつ読んでも先へいっている、というようなことを。圧倒的に鋭い知性だ。我々を鋭く刳って、容赦がない。しかし、こういうマジメな奴が天才だと困る。我々クズは、満身創痍になってしまう。「神なき人間の惨めさ」とか、余計なお世話じゃ笑。パスカルキリスト教護教論の執筆を予定していて、『パンセ』はそのためのメモ書きでもあるが、こういう歴史上でも圧倒的にかしこい奴に、理性でキリスト教への改宗を「強要」される書物を書かれないで、本当によかった。面倒だからな。
 パスカルは何でもわかっているが、ほんとマジメすぎるのは勘弁して欲しい感じである。でも、すばらしくおもしろい。パスカルは、自分は人間の研究をしたが、そういうことをするのは幾何学の研究をする人間よりも少ないみたいなことを書いている。そして、そうした人間の研究をしたのは、よかったことなのだろうか、とか。いや、ちがった、そういう人間の研究をするのは、ふつうの人間(つまりパスカルに及びもつかないクズのこと)を不幸にする、かな。まあ何でもいいが、パスカルはここまでいって、人間のバカバカしさ、愚かさを本質的に肯定できればよかったのに。パスカルのやり方では、人間を深く知ることはできるが、人間をそのままで深く愛するのはむずかしいのではないか(しかしそれは、やはりパスカルが正しいのかも知れないけれども)。そこと、パスカルキリスト教護教論がどう繋がっているのかは、わたしはよく知らないわけだが。ちょっと拾い読みしただけだからね。

パンセ (中公文庫)

パンセ (中公文庫)

  • 作者:パスカル
  • 発売日: 1973/12/10
  • メディア: 文庫
 
夕方になって、県図書館の返却期限が昨日だったことに気づく。なので、慌てて図書館へ。強い雨

夜。
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続』第7話まで見る。