晴。
ぼーっとする。
ごろごろ。
昼から珈琲工房ひぐち北一色店。多田茂治『石原吉郎「昭和」の旅』を読み始める。オカタケさんのブログで知った本。おもしろい。石原がシベリアに抑留されるところまで読む。いまと時代的にどちらがマシかといえば、そりゃいまの方がよいだろうが、しかしそういうのは愚問だろうな。いまの時代的クラさは何だ。いや、そんな軟弱な、甘ったれるなという人もいようが…。敢ていうなら、石原に限らず、シベリアに抑留されて地獄を見、生き残った人たちには、嫌でも何か根底的な認識を得ざるを得なかった人たちが少なくない。我々には、根底を欠いて生きるという、これはこれでひどく苦しむ人がたくさんいる。なかなか一概にはいえない。「二つよいこと、さてないものよ」と河合隼雄先生は仰ったな。
- 作者:多田 茂治
- メディア: 単行本
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NML で音楽を聴く。■ブラームスのピアノ協奏曲第一番 op.15 で、ピアノはヴィルヘルム・ケンプ、指揮はフランツ・コンヴィチュニー、ザクセン州立管弦楽団(NML)。うーん、終楽章だけ残念だった。第一、第二楽章は感動的な演奏。終楽章だけ、ブラームスに届いていないという他ない。1957年という古い録音だが、デジタル処理してあって音質は何とか聴けるレヴェル。
■イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第一番 op.27-1 で、ヴァイオリンはマキシム・ブリリンスキー(NML)。- アーティスト:Ysaye / Brilinsky
- 発売日: 2021/04/16
- メディア: CD
夜。
『バガボンド』既刊最終巻(第37巻)まで読む。
- 作者:井上 雄彦
- 発売日: 2009/09/03
- メディア: コミック
しかし、第37巻のアマゾン・レビュー、すごいな。中断してしまったことへの、罵倒の嵐。ここまでのこのマンガのレヴェルが低いのならともかく、クレクレ君たちは一体何様なのかね。そういう時代なのだといってしまえば、そうなのかも知れないが。
1770夜『小枝とフォーマット』ミシェル・セール|松岡正剛の千夜千冊
ここでの松岡正剛はなかなかおもしろい。セールはわたしはほとんど読んでいないし、読んだものも覚えていないし、かつてまったく理解できなかった筈である。しかし、松岡正剛がここで言っていることは、まったくわからないということもない。ここで言われている「フォーマット」というのは、既に文節化された記号世界を紋切型的に生み出してくるところのネットワーク状の「構造」のことである。そこからの連想で松岡は「華厳」と口走っているが、これは惜しいかな、ミスリーディング。華厳のネットワークは、記号ではなくリアルの世界(厳密にいえば、リアル世界は象徴をも含む)のことだから(しかし、正剛は確かに混乱しているが、わたしの理解もまだ行き届いてはいない)。その他にも、正剛はハッタリが過ぎて(もっともわたしが理解していない領域もたくさんあるので、そこは何ともいえない)、これが正剛流とはいえ、何だかなあと思う。いや、俺様傲慢ですね。しかしこれなら、セールを読んでみたいなと思わされるところがあった。セールは記号の向こう側が見える人なのだ。って、県図書館にでも、セールあるかなあ。
正剛と禅はどこがちがうか。それは、正剛が言葉を大事にしないところにある。「編集」ってのをやり過ぎたのだな。禅は、訳がわからないようで、非常に言葉を大事にする。正剛が、どうせわからないだろうと、言葉をごちゃ混ぜにしてみせるところが、堕落なのだ。言い換えれば、アナロジーが厳密でないし、切れ味が悪い。まあそれで一生やってきたのだし、まあそれでもいいのなら、それでもいいのだが笑。僕もまあ、そんなことはどうでもいいといえば、どうでもいい。