映画『ノマドランド』を観る / J.M.シング『アラン島』

晴。
マーラー交響曲第五番、小澤征爾解説(?)みたいな夢を見る。

山下達郎『FOR YOU』を聴く。

FOR YOU (フォー・ユー)

FOR YOU (フォー・ユー)

  • アーティスト:山下達郎
  • 発売日: 2002/02/14
  • メディア: CD
わたしの原点みたいな位置にある音楽。おじさんだからね。

肉屋。いい天気。

ホンヤ(本家)のおばさんが苗をもってきてくれたので、プランターミニトマトを入れる。
20210427110625
高々野菜づくりごっこなのに、わざわざ作った堆肥をいっぱい入れろと老父がいうのには笑ってしまう。水をたっぷりやって完了。明日は雨の予報なのでちょうどよい。
作業していたらアオスジアゲハが。きれいで、飛んでいるのをしばらく眺める。
スズメが近くまで寄ってくる。まだ子供なのかな。

スタンフォードのコンピュータサイエンスの授業の感想(後編)|Rui Ueyama|note
素直に「すごい」という感じ。このところ自分はプログラミングに興味を失ってしまっていて、それはいまの日本のプログラミング界隈が人数的には広い、対象的にはひどく些末な世界になっていて、素人に興味がもてなくなってしまっているからだと思う。いまプロのエンジニアが必要なスキルが話題になるばかり、というような。あるいは、ほとんどゲームのような競プロ(競技プログラミング)とか。しかし、Rui さんのこの記事などは、スタンフォード大学のコンピュータ・サイエンスというものがいかに根底的な、またトピックとして最先端のものを扱っていることがわかって、たんにわたしのレヴェルの素人でもミーハー的にわくわくさせられるのだ。視野が広いのである。それにしても、SDN(Software-Defined Network)を発明した人がインターネットの講義をしてくれるとか、ちょっとレヴェルがちがう世界という感じで、例えば日本の筑波大学とか、どうなんだろうと思ってしまう。わたしは悪口をいいたいわけではまったくないが、日本のソフトウェア業界は、(それに比べれば)オタクの延長という感じが強すぎるのではないかしらん。それなのに、短期的・実用的なものに流されすぎなのも気になるのだが、まあそんなことはわたしなどがいうべきことでもないか。ま、わたしのレヴェルが低いから、つまんねーのだろうけれどな。

昼から、イオンシネマで『ノマドランド』を観る。
アカデミー賞を獲ったから映画を観にいくというような殊勝な人間ではないのだが、あるブログで感想を読んだことでもあり、新聞評のあらすじで観てみる気になった。いや、映画館で観てよかった映画でした。特にドラマティックな展開があるような映画ではない。夫を亡くし、住んでいた企業城下町も廃墟になって、アメリカ中をおんぼろバンで放浪(ノマド=放浪民)する初老の女性が主人公である。女性はアメリカ人にしては人との距離が(かなり)ある人間のように思えるが、それでも放浪しながら、人とのつながりが出てくる。この点は、わたしのようなタイプの日本人とはだいぶちがうなと思わされた。しかし、それでも、多少仲良くなった男性から定住を提案されても、最終的にはバンでの放浪へ帰っていく。
 この映画には、背後に自然と人間との関係がテーマとしてあるが、アメリカではまだ手付かずの自然がたくさん残っているのだなあという印象を受けた。そこもまた、相当の山奥に入ってすら人の手が加わっている日本とは大きくちがう。日本では手付かずの自然と一体化していくというのは、一種のフィクション(あるいは欺瞞)を想定しない限り、むずかしい(例外は北海道の知床半島あたりだろうが、人の出入りが厳しく制限されている)。逆に、手を加えられた自然と共に暮らしていけるのは、日本の田舎のよさでもあろう。もっとも、日本人はいまや自然への感覚・感性を失ってしまっているけれども。その代償として、登山が流行ったりしているのかも知れない。
 この映画には確かに高度資本主義批判という側面もありそうだが、そこはわたしは(ここでは)あまり興味がないので、他の人に任せたい。ただ、このような映画も、現実には資本主義的に消費されてしまうだけなのだろうなと思う。
 静かな映画だった。めずらしく暴力がないし。わたしは映画はよく知らないが、頭がからっぽになる映画というのは、あまりないのではないかと勝手に思った。

なお、アカデミー賞受賞後であるけれども、各務原イオンシネマでは入りはガラガラでした。15人くらいだったかな。


夜。
J.M.シング『アラン島』読了。栩木伸明訳。

アラン島 【新装版】

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