上野千鶴子『女の子はどう生きるか』 / 自分の中の「死」

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハのブランデンブルク協奏曲第六番 BWV1051 で、指揮はベンジャミン・ブリテン、 イギリス室内管弦楽団NMLCD)。

上野千鶴子『女の子はどう生きるか』読了。岩波ジュニア新書の本。若い女の子たちに上野さんのフェミニズムを刷り込もうという本で、おもしろかった。本書を読むと、意外とわたしもそんなにひどいものではないなあと思ったのは確かだ。記述には基本的に賛成である。しかし、わたしという男性の読後感とすれば、何とも世の中の男性は(わたしも含めて)クズしかいないんだなという気になってくる。まあ、それは事実なのかも知れない。それは本書の「オッサン」という言葉によくあらわれていて、これには上野さん独自の定義がされている(ある種の女性も含まれている)のだが、それでも「オッサン」という言葉が異様にキモく使われているのは、おっさんとして悲しくなってきた。それもまあ、已むを得ないのかも知れないが。
 本書で特におもしろかったのは、第四章の「社会を変えるには?」だった。わたしは世間というのをよく知らないので。しかし、ここのところは、まだまだ議論の余地がある話が少なくないとも思う。
 本書を読む若い女の子たち(に限定する必要もないけれど)が、わたしのような古い偏見に満ちた男ではなく、あなたをよく理解してくれる思慮深い素敵な男性(女性?)と巡り会えますように。女性差別のない職場で、好きな仕事をバリバリこなしていけますように。

しかしちょっとだけ思ったが、上野さんは女の子やオッサンのことはよくわかっても、いまの男の子のことは意外とわかっていないのではないだろうか。まあ、わたしがいまの男の子のことがわかっているとも到底言えないのだが。

肉屋。

現在は人生がサニタイズされ、死というものから遠ざけられているというのはよく云われることで、特に強調するほどでもないと思われるかも知れない。けれども、当り前であるがゆえに、やはり忘れず繰り返しておくべきなのだと思う。わたしがこのところ感ずるのは、自分の中に死が確実にあるということだ。確かに、死が外から突然与えられることもある。事故死などはそうだ。しかし、それとは別に、死は我々の内にある。現在、大量に流通・消費されている物語の中に死は頻出し、ドラマトゥルギーを支える大きな柱のひとつになっているが、それは所詮は記号としての、そして他人の死である。わたしたちはいつか自分が死ぬことはよく知っているが、死が我々の内にあることを知らないように見える。
 というわたしも、ようやく気づき始めたばかりのところだ。自分が死ぬまでに、そこのところをさらに少しでも知ることができればよいと思っているが、それにしても現在の社会が死から遠ざけられているそれであるために、なかなかむずかしいところである。わたしは、まだまだ自分の死と向き合うに不十分であるといわざるを得ない。頭でしか理解していない、つまりは付け焼き刃なのだ。

図書館。
いい天気なので散歩しようかなとちょっと思ったが、何となく気が進まず止める。


ドビュッシー前奏曲集第一巻で、ピアノはヴァルター・ギーゼキングNML)。ギーゼキング、ぶっ飛んでるな。ギーゼキングはノイエ・ザッハリヒカイトを代表する演奏家といわれるが、そんなレッテルでは到底尽くせないピアニストだ。限界というものがないのだろうか、ギーゼキングには。

ドビュッシー:前奏曲集 第1巻 第2巻

ドビュッシー:前奏曲集 第1巻 第2巻

メンデルスゾーン交響曲第三番 op.56 で、演奏は飛騨高山ヴィルトーゾオーケストラ(NML)。2019年3月24日のライブ録音。何の気なしに聴き始めたらびっくりしてあれよあれよという間に曲すべてを聴き終えてしまった。何というフレッシュな演奏だろう! 正直言って僕はこの曲にこれまでさほど印象がなかったのだが、いい曲じゃないか。指揮者は置かない、少人数での演奏のようである(NMLの表記では指揮者があるように見えるが、これは誤り)。ライナーノーツを見ると構成員は日本の一流オケの演奏者が多く、まさに「ヴィルトーゾオーケストラ」の名に恥じない。さても、岐阜県美濃地方在住の人間として飛騨地方は文化程度が高いような印象があるが、それにしてもこれはすごいな。

■イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第三番 op.27-3 「バラード」で、ヴァイオリンは千住真理子NMLCD)。鋭利な刃物のような演奏。

今日の朝日新聞夕刊に中沢さんへのインタビュー(参照)があって、結構ショックだった。希望は地方の若い人ってことかな。確かにいまの若い人たちは優秀でよく考えており、実行力もあるようだ。わたしなんかは、追い詰められている訳だが。若い人たちには希望をもって、あとわたしはどうしたらよいのか。少なくとも、徹底した(精神の)貧しさから出発していくべきなのはわかっている。どこまでわたしたちが堕ちていくのか、空恐ろしいものがあるが。

『ふくしま原発作業員日誌』を読む。