河合隼雄『平成おとぎ話』

曇。

死を組み込んでいくということ。「自分にとって苦痛を与える体験を、記号表現の中で何度も操作して取り返そうとする、そしてお母さんが記号の中でいなくなるたびに、子供は胸を痛めているはずなのに、その苦痛を楽しんでもいる。…それは一瞬一瞬に子供は小さい死を体験しているけれども、その死を自分の中に記号表現で取り返すことによって、小さい死を喜んでいるんだという理解を作っていく。これは天才的な発想ですね。」(p.36)「同時に、象徴表現を行うことができる子供は、そこから現実を変えたりあるいは自分の欲望を満たすために、外界を攻撃したりするようになります。つまり、攻撃性がここから発生することがわかってきます。」(p.37)わたしのしたいのはこういうことではないけれど(もっと底の浅い話だ)、まったく関係がないともいえない。
 象徴性によって生を保護しなくても、人間は生きていけるものなのだろうか? 意志は守られるのか? 動物の生は象徴性によって保護されていない筈である。

スーパー。

いずれにせよ、人間は象徴表現なしに生きていくことはできない。


昼から、BOOK OFF江南赤童子店。あるベストセラー本があれば買おうと思っていたが、なかった。100円文庫本ばかり四冊買う。小沼丹『村のエトランジェ』、『荒地の恋』、『ネコはどうしてわがままか』、河合隼雄先生。小沼丹の文庫本はもっている筈だが100円なので買った。どうももっていなかったようであるが。あとは、ラノベやマンガの棚を見ていた。

「ブ」から、イオンモール扶桑へ。この道は初めてなので、少し緊張した。20分くらい。

ミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。ポン・デ・ちぎりパン キーマカレー&チーズ+ブレンドコーヒー473円。図書館から借りている河合隼雄先生の続き。
ここからの帰り道は、いつもおんなじようなことを考える。偶然か、それとも土地の精霊(ゲニウス・ロキ)がそうさせるのか。


図書館から借りてきた、河合隼雄『平成おとぎ話』読了。

平成おとぎ話

平成おとぎ話

 
『ふくしま原発作業員日誌』を読み始める。


知られない、人の役に立たない、そういう意味のないことに、どうしてすべきところがあるのか? これを正当化する論理は皆無であるけれども、わたしはそこへ繰り返し帰ってくる。まさに無意味にして無用。人を寄せ付けない矛盾。

中心へ向けて亀裂が入ったのこと。