ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』

曇。

肉屋。ドラッグストア。

昼から雨。
暖かい季節になってきたので、三箇月ぶりに県営プール。ちんたら泳いでいるだけだが、気持ちよかった。

夜。
図書館から借りてきた、ジョージ・オーウェルカタロニア讃歌』読了。昨日翻訳についてはケチをつけたが、それでも読んでよかったし、いろいろ考えさせられた。ただ、感想文を書くとすると、思ったことをひと通り書くには大変な長文になってしまうことがわかっているので、不十分なメモ書き程度にしておく。本書はスペイン内戦のルポルタージュという言い方がされることがあるが、むしろ「戦記」に近い。オーウェルはスペインに入国するや、POUM(マルクス主義統一労働者党)の民兵組織に参加し、フランコ軍(本書ではファシストと呼ばれる)に対して戦うため、前線に赴く。前線は塹壕戦なため、戦闘はあまりなく、時にはのんびりとした様子すらあるが、それでも小競り合いのようなものは何度もある。わたしは、「敵を殺す」ということがよくわからないのでそこには比較的注目していたのだが、それは戦場では当り前すぎて、さほど問題になることではないようだ。実際、自分が敵を殺したかどうかは、忙しい戦場ではわかりにくく、あまり気にしているヒマがないようである。むしろ戦場とは、寒さであり、食料であり、疲労・睡眠であり、不潔さであり、匂いであり、装備であり、シラミのようだ。しかし、「敵に殺される」のがイヤなのは、我々の想像どおりのようである。
 オーウェルは休暇でバルセロナに戻るが、そこで共和国勢力同士の内部抗争による、市街戦に参加する。記述は緊迫感があるといっていいだろう。その後オーウェルは前線に戻り、喉を撃ち抜かれ、瀕死の重症を負う。その記述は有名で、わたしはよく知っていた。
 オーウェルはゆっくりと回復しつつ、バルセロナに戻るが、バルセロナでは共産党によって POUM が非合法化され、組織の人間が数多く逮捕・監禁されるという事件が起こっていた。内部抗争である。オーウェルも妻もブラックリストに乗っていて「お尋ね者」ということになり、危ういところでフランスへ出国して本書は終わる。
 あと書いておきたいのは、「補論1, 2」とされた部分についてだ。ここには本書の大部分とはちがい、共和国内部の複雑な政治的背景と外国における報道について、オーウェルによる批判的記述がある。まあ、無味乾燥とでも一応いえるのかも知れず、だから「補論」として最後に回されているわけだが、わたしは意外にもここに心動かされる部分がたくさんあった。事実をまったく見ず、背後で勝手なことをわめいている人たち。「戦争の最もひどい特徴のひとつは、すべての戦争プロパガンダ、すべての喚き声、嘘、憎しみが一様に、戦っていない人びとからやってくることである。」(p.289)「…例の戦争物のすべて、テーブルをたたく熱弁、誇張した武勇伝、敵に対する悪口――こうしたものはすべて、いつものように、戦っておらず、そして戦うより先に一〇〇マイルでも逃げて行くような連中が書いているのである。」(p.289)そうして、スペインの外のジャーナリズムが不実にも書き立てているのは、そうした連中の言葉だというのだ。オーウェルにはめずらしく、不快感を隠していない。こうした「嘘」の集積が、歴史が作られるということなのだと、わたしはつい思ってしまう。
 オーウェルは『動物農場』が世界的なベストセラーになるまでは、たぶんあまり知られていない作家だった。1938年の本書初版は1500部印刷されただけであり、オーウェルの死んだときでも初版の在庫が残っていたという。何かむなしさのようなものをわたしは感じてしまうが、オーウェル自身はそういうことをどう思っていたのだろうか。

カタロニア讃歌 (岩波文庫)

カタロニア讃歌 (岩波文庫)