こともなし

晴。

デカルトはコギトの存在が確実であると考えた。それとはちがうが、わたしはいわば「心一元論者」であり、その心=世界だと思う(誤解を招きやすい表現ではあるが)。ハイデガーの「世界内存在」は、それが反省的概念であるがゆえに既に心と世界の間に亀裂が入っているように思える。では、その「心」はどこから来るのか? しかし、かかる問いは論理的には、「心一元論者が暗に心以外のものを想定している」と矛盾を指摘されてしまうかも知れない。已むを得ないところである。

午前中、甥っ子の勉強を見る。物理。
昼食はおばあちゃんのカレー。
午後もお勉強。僕はいろいろ思い出してきてむずかしい問題でも解けるようになってきたのだが、僕が受験するわけじゃないしなあ。

夜。
録画しておいた、「まいにち養老先生、ときどきまる(秋を漂う)」を見る。
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養老先生、大病をしていたらしい。それでこの番組、長いこと放送がなかったのかな。随分と痩せられた感じ。「諸行無常」が口癖になっておられる。