こともなし

晴。

スーパー。

昼食は焼きそば。


珈琲工房ひぐち北一色店。四方田犬彦『愚行の賦』を読み始める。聡明極まりない四方田さんが、愚行について書くというまあイヤミな本で、四方田さんまた嫌われるのじゃないかと思った。四方田さん、近年どうも鬱々とした本が多いような印象である。四方田さんの本は昔のも含め図書館に結構あるのだが、面倒なものが多いのであまり読んでいない。正直言って、わたしは四方田さんがあんまり好きじゃないのかも知れない。しかしまあ、本書でも、何というペダンティズム! よきペダンティズムというのは軽妙さと気取りと、もちろん深い古典的教養が必要で、最近では滅多に見かけたことがない。ペダントの前提をもつ人間がほとんどいなくなってしまったのだ。それだけでも、四方田さんの存在は珍重するに足る。そもそもわたしは出発点としてペダントっぽかったし、ペダンティズムはいまでも好きだ。
 いっておけば、四方田さんの本で、わたしが読んでおもしろくなかったものはひとつもない。圧倒的な才人である。
 ちなみに、東洋には「愚か」というのを肯定的に捉えるような伝統がある。例えば、禅僧の名前に「愚」が付く例は無数にある。さて、四方田さんなど極少数者を除けば、我々の大部分が愚か者であろう。であるのにも関わらず、自分が「愚者」であると思わないのがふつうの人間である。ネットでも、自分の愚かさを棚に上げて聡明な言を吐く鈍感な人間はきわめてふつうだ。わたしなどは、ネットを見ていると「聡明さ」の洪水に溺れそうに感じることがよくある。疲れる。

愚行の賦

愚行の賦

このブログも愚かさの記なのであるが、そういうことをいうと却って偽善あるいは偽悪と見做されたりして、ほんと人間はめんどうくさい。


ウチの夏みかんマーマレードを作る。明日の朝から食べられます。

夕飯はおでん。

四方田犬彦の続き。おもしろい。一気に半分くらい読んだ。愚行の一般論はさほどおもしろくなかったが、文学論になったら圧倒的である。フローベールの自意識の強さにはうんざりさせられたが、このこちらの「うんざりさせられぶり」が四方田さんの手柄だ。西洋人の自意識の強固さを、見事な手並みで解剖し摘出してみせている。『白痴』論はまだ読みかけだが、それにしてもわたしはこの小説をかつてどう読んでいたのかね。何が何だか、ちっともわからなかったのではないか。我が凡庸。