武満徹「音、沈黙と測りあえるほどに」

明け方まで雪。晴。

積雪 4cm くらい?

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第四番 K.218 で、ヴァイオリンはヴィクトリア・ムローヴァ、エイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団NMLCD)。

NML にダニエレ・ポリーニのアルバムが入ったのでちょっとだけつまみ食いしてみた。合計で10分ほどしか聴いていないので、もとより評価云々できるわけではない。さて、ダニエレは名前からわかるように、大ピアニストたるマウリツィオ・ポリーニの息子である。このアルバムはショパンエチュードに、スクリャービンシュトックハウゼンというラインナップだ。父親は若き日にショパンエチュード・アルバムで衝撃的なデビューをし、それはいまでも名盤として語り継がれ聴き継がれているわけだから、ダニエレの選択は思い切ったものだ。父親の後年のスタイルに近く、若きマウリツィオの引き締まった、粒立ちのよいタッチとはだいぶちがう。わたしは70年代の、マウリツィオのスタイルが好きだったし、彼をいまでも聴くとすればそちらになるだろう。ダニエレはショパンよりも、父親の演奏しなかったスクリャービンの方がまだ合っている感じがした。しかし、聴いたのがソナタ第十番(の冒頭)ということもあるが、あんまりロマンティックではないね。父親のついに録音しなかったシュトックハウゼンは、ちょっとうるさい感じ。
 あんまりよいことを書かなかったようであるが、いっておくけれども disろうという気持ちなどは毛頭ない。とにかく10分くらいしか聴いていないので、それで評価なんてできるものではない。さても、父親が大ピアニストだから、デジタル配信にせよメジャーレーベルで録音が出してもらえ、わたしのようなスノッブがつまみ食いしてみたりするのはいいことなのだろうけれど、それよりも何をやっても父親と比較されてしまうこと必定なのは、たぶんとてもつらいのではないかと思う。それだけでエールを送りたい気持ちになってしまう。勝手なこと書いた。

Chopin: Etudes Op. 10; Scriabin: Late Works Opp. 70-74; Stockhausen: Klavierstück IX

Chopin: Etudes Op. 10; Scriabin: Late Works Opp. 70-74; Stockhausen: Klavierstück IX

  • 発売日: 2018/04/06
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ブラームスクラリネット三重奏曲 op.114 で、クラリネットエリザベート・ガンター、チェロはウラディーミル・ライクスナー、ピアノはスタニスラフ・ボグニア(NML)。 

昼からこのブログの過去記事を読み返していたら、おおよそ三箇月分にもなった。いやー、おもしろいじゃんとか、バカだね。供養である。

コロナ禍を気にしてもう十日あまり一人では「ひぐち」に行っていなかったので、ちょっと行ってみたら、そこで誰かが「今日は東京では800人(感染した)」と言っているのが聞こえて、ぎゃふん(?)となった。マジ困るよなあ。ついに指数関数的爆発段階に入ってしまったのか知ら。
 『武満徹著作集1』所収の「音、沈黙と測りあえるほどに」読了。元本は1971年刊。自分の考えていることと非常に近いことがいっぱい書いてあって、目を見張らされる。例えば東洋と西洋。個性と anonymous。自然と人工。まあ、自分には武満さんの言葉がいろいろと入り込んでいるので、近いことを考えているのは当り前かも知れない。それにしても、わたしがこれまで生きてきた中で、こういうことをマジメにかつ深く考えている人は、まわりには当然いなかったし、有名な「知識人」でもほとんどいなかった。結局、わたしは古くさい小林秀雄あたりにとっ捕まって読み込んだおかげで、まわりまわって武満さんに反応できたのかも知れない。わたしは、「ハゲみつ? そんなのはいいから××を録音しろよ」という多くの現代音楽ファンをあまり信用していない。ま、大して音楽のわかっていないわたしは、それゆえにわかっていることもあると思っている。そういうわたしも、長いこと武満徹の音楽の特別さが聴けていなかったから、あまりエラそうなことはいえないのだが。

武満徹著作集〈1〉

武満徹著作集〈1〉

「ひぐち」から帰ってくるときの信号待ちで、ちょっと田舎っぽいセーラー服の女子中学生が三人、立ち話しているのを見かけたのだが、笑い転げているのか、ひとりがこの寒い中、セーラー服のまま地べたに座り込んでのけぞっているので、感心してしまった。ああいうのが若いってことかな。

松岡正剛は武満さんについては1033夜で、彼にしては比較的悪くないことを書いている。しかし、例えば立花隆氏の大著や小野光子さんの評伝には、本質度で全然およばないけれど。ま、松岡正剛はあの自慢話とニセモノ感がウリなのかも知れないな。クズがエラソーにすみませんけれども。

■フランクのピアノ五重奏曲 ヘ短調で、ピアノはサンソン・フランソワ、ベルネード四重奏団(NML)。予想どおりどう考えるべきかなかなかむずかしい演奏になっていた。問題はサンソン・フランソワなので、その前に、ベルネード四重奏団(まったく知らない)がすばらしかったことをいっておきたい。この曲は濃密さと高い緊張感が必要なわけだが、このカルテットは冒頭から気合の入った集中力を聴かせてくれて、全体的にフランクにぴったりな演奏だったと思う。で、フランソワなのだが、このピアニストは天才であり、ダンディで洒落ていて、練習もせず、しかも演奏がカッコいいという、まあ他に代えがたい人である。音も美しく、ショパンなんかをちょっと崩して弾いてみせるところなどは絶品だ。結論からいうと、第一楽章は何だかわからない、すごい迫力があって、思わず感動させられてしまった。弦楽四重奏団の方とあまり合っていないのだが、何とか崩壊せずに弾き通しているところがすごい。しかし、第二楽章、終楽章はフランソワの明晰なピアノが、濃密なフランクの音楽とちょっとミスマッチな感じがしないでもない。多少平凡というか。全体として悪くはないのだが、フランクらしくはないというところか。でも、聴いてよかったとは思う。いつ頃の録音なのだろうか。

Franck: Quintette pour piano et cordes, FWV 7

Franck: Quintette pour piano et cordes, FWV 7

  • 発売日: 2020/11/20
  • メディア: MP3 ダウンロード
 
フランソワについていろいろぐぐっていたら、たまたま松岡の1579夜にぶつかってしまったが、これなどは「このハッタリ野郎!」と嫌悪感しか覚えない。困った人だな、この人は。いろいろ切って貼ってめちゃめちゃに「編集する」だけで、感性が空っぽなこれなどは、もっとも悪い部類の松岡だと思う。他人に読解力と感性がないとでも思っているのだろうか。ま、どうでもいいのだが、そんなことは。