町内に道路が通る

晴。

ごろごろ。
論理が遠く深くぶちこんで、ついていくのが青息吐息。

スーパー。

ひきこもりの人たちというのは、「単純化社会」の犠牲者ということはいえるだろうな。人間の欲望(欲動)はもともと多数多様な方向に散乱している。高度資本主義社会はそれを煽る一方で、意味(=方向)や制度によって欲動を一定方向に整流化することを強要する。そういうことが容易にできる人間と、できない人間がいる。現代に対する適応とは、そういう側面がある。

微細な粒子たちの湧き立つような軽やかな運動はやっぱり大事なんだよ。そういうのをバカにしちゃダメなんで、稀少価値として守っていかないといけない。そもそも感性というフィルターの目が粗すぎるんじゃないの?いまや。繊細で薄味なものは引っかかってこないじゃん。デカダンスとかだって、確かに簡単に肯定はできないけれど、それにしてもデカダンスなさすぎるんじゃね?

凡庸な田舎者ということ。

等価交換と粗さ。

昼。
ごろごろ。

県図書館。
ミスタードーナツ バロー市橋ショップ。メープルエンゼルフレンチブレンドコーヒー429円。田中友三『ビザンチン文学入門』を読み始める。いま本をあまり読みたくないので、浮世離れしたような(?)本書を手にしてみた。埼玉新聞社というところの出版に係る。案の定、知らないことのオンパレードで楽しいが、ギリシア語の発音表記が古典ギリシア語のそれではなく、現代ギリシア語のそれなので、固有名詞がますます見当つかない。ホメロスはオミロスであり、パウロはパブロスという具合である。少しだけ読んでいくつもりだったが、興味深くて思ったより長くなってしまった。

町内を分断する大きな道路の着工が現実化し、説明会が既におこなわれ、測量が進んでいる。計画のままだと、町内は容易に行き来できなくなってしまい、ウチはお墓にも簡単に参れなくなってしまう。そして、わたしや老母が散歩している、川沿いの田んぼや畑は潰されてしまうことになる。地権者は大喜びというところだろう、ただでさえ厄介者の土地が公的に買い上げられるのだから。老母は親戚から話を聞いてきてぷんぷん怒っている。道路ばかりで、もう道路なんていいのにな。

ちょうど、わたしがたくさん写真を撮ってきた平凡なのんびりした風景が、大きく変わる。壊れてしまうんだ。


いまわたしの心の中にあるのは、イヤだな、(大げさかも知れないが)ふるさとが壊れてしまうんだなというもやもやした気持ちである。一方では、具体的に反対とか、面倒で、まっぴらごめんだ、お上とか行政という長いものには巻かれて放っておけばいいという、日本人的な「あきらめ」のような気持ちもはっきりとあるが、まあそれはどうでもよい。とりあえず、反対とか考えてみると、そのロジックがないことに気づく。わたしの根本的な気持ちは、つまるところ「大切なふるさとが変わってほしくない」という曖昧な感情なのだが、これは公的な利便性など、開発のロジックに対してまったく説得力をもたないのだ。こんなことを主張すれば、公的なことを考えない、個人的なわがままの一言で切り捨てられてしまうし、むしろ非難の対象にすらなるだろう。保存されるべき、貴重な動植物が生息するわけでもないし、「景観破壊」というほどレアな風光が存在するわけでもない。住民の人口もさほど多いわけではなく、むしろ道路が地域発展のきっかけになるかも知れない。そもそも、いちばんの理由は、近所の交差点の渋滞緩和であり、その解消は確かに公的な利益になる。こう考えると、繰り返すが、「大切なふるさとが変わってほしくない」というのは反対の根拠として弱すぎるだろう。
 さても、「大切なふるさとが変わってほしくない」というのは、一言でうまい言い方がない。patriotism (「愛国心」よりは「愛郷心」と訳すべきだといわれる)は近いのかも知れないが、わたしとしてはニュアンスがだいぶちがう。それに、そんなのは「執着」といえば執着だ。諸行無常、すべては流転するのだから、それを受け入れるべきというのが「より日本的」であるともいえる。日本では、すべてのふるさとは破壊され、皆あきらめてそれを受け入れてきたのだ。それが、我々の通ってきた道だったのである。
 老父は愛知県の知多半島の海岸近くから岐阜へやってきて半世紀を超えるが、その「故郷」の消滅ぶりはすさまじい。わたしたちは子供の頃父の実家を訪れ、遠浅の海で泳いだものだが、googleストリートビューで見るとその家は既にないし、近所も激変して面影などまったくなく、それどころか砂浜は消滅して海岸道路が通り、沖合にはぴかぴかの人工島ができている有り様だ。時が流れるというのは、そういうことなのかも知れないが。
 それにしても、「公的」とは何なのか、わたしは今まであまり考えたことがなかったなと思う。特に最近は、「公」あるいは「行政」のいうことに逆らうと、めっちゃ叱られてしまう時代だ。さても、ほんと考えてこなかったな。痛感する。