玄侑宗久『光の山』

晴。

大垣。
ミスタードーナツ大垣ショップ。ホット・スイーツパイ りんご+ブレンドコーヒー393円。玄侑さんの『光の山』を借り直してきて読み直す。「あなたの影をひきずりながら」「蟋蟀」「小太郎の義憤」「アメンボ」を読んだ。どれも覚えていなかった(ほんと、何を読んでいるのでしょうね)。「あなたの…」は、彼女と東電に勤める彼が会わなくなり、というか、彼はとても会えなくなり、そして彼女が肺炎であっさり死んでしまう話。彼女のお爺は、帰還困難区域にいると思われる牛たちの元へ帰ろうとするが、制止される。「蟋蟀」は、お坊さんが家ごと津波に呑まれるも奇跡的に助かるが、津波直後に多くの人の死体を見る。母親は行方不明で、自分と一緒にいた父親(もちろん同じく僧侶)は頭がおかしくなってしまう。お坊さんは、20歳若い女性(彼女もまた凄惨な体験をしている)と、また二人とも関係ない子供(両親を失う)と出会い、お寺を続ける。「小太郎の義憤」は、津波で夫を亡くした母子と、DNA鑑定の話。二人は警察署へ行くのだが、初老の警察官も娘と孫を失っていた。「アメンボ」は、二組の夫婦の物語。あまり物事を厳密に考えない方の夫婦は、原発事故のあった福島で子育てをしながら、あまり変わらずに日々暮らしている。もう一方の夫婦は、妻が子供を連れて北海道へ「避難」し、そのまま離婚してしまう。その妻というのは、常にしっかりとした人生を送り、何事もテキパキと判断してきた人だった。いわば、言葉によって強固な自我を作り上げている人だった。以上、(陳腐な感想だが)いろいろ考えさせられた、というか、感じるところが多かった。残りもあとで読む。

光の山

光の山

本書は先日「ブ」に110円であったから、買っておけばよかったな。玄侑さんなんだし。

三時のおやつに餅信の栗きんとんを食べる。


NML で音楽を聴く。■バッハのパルティータ第三番 BWV827 で、チェンバロはクリスティアーネ・ジャコテ(NMLMP3 DL)。■ドビュッシー交響詩「海」で、指揮はジョン・バルビローリ、パリ管弦楽団NML)。

ショパンスケルツォ第三番 op.39、第四番 op.54 で、ピアノは内田光子NMLMP3 DL)。これはすごい。ほんとぶっ飛んでいる。■ブリテンのカンティクル第三番「なおも雨は降る - 1940年の爆撃に、夜から暁の」 op.55 で、テノールはシリル・デュボワ、ホルンはウラディーミル・デュボワ、ピアノはアンヌ・ル・ボゼック(NMLMP3 DL)。

夜。
図書館から借りてきた、玄侑宗久『光の山』再読了。「拝み虫」「光の山」を読む。何故かこの二篇はうっすらと記憶にあった。「拝み虫」は、津波で若い妻を亡くした男が、仮設住宅で末期癌とわかる話。彼は震災前、妻と結婚式場を経営していたために、カセツでの若いカップルの結婚式を頼まれる。その結婚式は無事行ったが、奇跡は起きなかったらしい。「光の山」は、舞台を未来にもっていった寓話。これはわたしは二度繰り返して読んだ。

たまたま今日の「こころ旅」が、宮城県南三陸町を訪れる旅だった。わたしは震災前に家族旅行でここを車で通過しているが、何も覚えていない。たぶん、それくらいふつうの町だったということであるが、今日映像で見てみて、九年経っても何も「復興」していないかのようでほとんど言葉を失った。町はすべて消滅していた。海は穏やかで、しかし火野さんも手紙を読んだあと絶句していた。めずらしいことだったな。