こともなし

曇。

わたしは差別の「現場」をよく知らない、自分の「内なる差別意識」くらいしか知らないので言えることは少ないのだが、差別を理性的なやり方でなくすのは大変にむずかしいことなのではないかと思う。というのは、理性では差別はいけないことに決まっているから。例えば、いまホットなアメリカにおける黒人差別でも、差別する側も「差別はいけないことだ」とわかった上で差別しているのだと思うから。もちろんそれは別の論理で偽装はされるのだが、結局は感情的な問題なのだと思う。だから、差別する側が何にむかついているのかよく知らずに、「差別するべきでない」と論破しても、そうですね自分がまちがっていましたとはなかなかならない。さらには、問答無用ということで暴力や銃を持ち出してきたりする。「黒人の命は重要だ」といっても、「そんなこと知るか、クソが」という対応に対してどうしようもないというのが、わたしにはむずかしすぎる問題だ。だから、そういうのは言ってもダメだ、法で規制するしかないという「解決」が出てきたりするわけだが、そういうことをすると「分断」はますますひどくなるばかりである。人間そのものがクソであると、いうしかないのだろうか。

「分断」は日本でもどんどんひどくなっているし、この流れは止まらないだろう。理性がそれを加速させるのも同じである。我々はもっと「感情」というものをよく吟味しないといけないのではないか。で、いろいろともっと「ゆるく」やりたいのだが。

NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第三番 BWV1005 で、ヴァイオリンは豊嶋泰嗣(NMLCD)。

部屋掃除。蒸し暑すぎて汗だくになってしまい、終わったあとシャワーで汗を流す。

驟雨。
昼食にゴーヤチャンプルーを作る。


ベートーヴェン交響曲第五番 op.67 で、指揮はヘルベルト・フォン・カラヤンウィーン・フィルハーモニー管弦楽団NML)。

Symphony 5/Adagio

Symphony 5/Adagio

ショスタコーヴィチ交響曲第七番「レニングラード」 op.60 で、指揮はエフゲニー・ムラヴィンスキーレニングラードフィルハーモニー管弦楽団NML)。
Symphony 7: Leningrad

Symphony 7: Leningrad