こともなし

晴。
昨晩は秋月龍珉師を読んで寝た。

NML で音楽を聴く。■ブリテン無伴奏チェロ組曲第三番 op.87 で、チェロはノエミ・ブタン(NMLMP3 DL)。■イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第五番 op.27-5 で、ヴァイオリンはトーマス・ボーズ(NMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第一番 op.2-1 で、ピアノはメロディ・チャオ(NML)。バランスのとれた、お手本のような演奏で、しかも瑞々しい。

Beethoven: Complete Piano Sona

Beethoven: Complete Piano Sona

  • アーティスト:Melodie Zhao
  • 発売日: 2014/10/14
  • メディア: CD
 
肉屋。マックスバリュ

長時間、昼寝。起きておやつ。

三日前のコメントでゆたさんが大塚英志について思い出させてくれたところだが、そうしたら大塚が「webちくま」でまたイヤミな文章を書いていたのにぶち当たった。コロナ下での「新しい生活様式」「新しい日常」への(大塚らしい)生理的嫌悪感から、激烈な花森安治批判へと繋がる、なかなかに回りくどい文章である。大塚は、「ていねいな暮らし」というやつも大嫌いで、一時期よく言われた(いまでも言われているかも知れない)この「ていねいな暮らし」という言葉を広めたのは雑誌「暮しの手帖」なのであるが(このときもちろん既に花森は死んでいた)、その「新しい生活様式」や「ていねいな暮らし」というのが、戦時中の大政翼賛体制と見事に(?)連絡しているということを、大塚はごまかしようのない事実と論理で証明していく。と書いたが、大塚の筆致はめんどうなもので、わたしは正確に読み取ったのか自信がない。しかし、いまはいってみれば「戦時中」と見做されているのだから、大塚の批判はわかるけれど、国家による統制は別に驚くことではないとわたしなどは思うのであるが。わたしが気持ち悪いのは、大塚と同じところにも感じるけれど、このコロナ下において国民がむしろ国家による「統制」を自発的に欲していることにある。ツイッターなどにおいて、「自粛警察」が公権力の統制に従わない者たちを吊るし上げていった光景は、まさに民衆の自発的な「被統制への欲求」を示していた。わたしが、大塚の気持ち悪さに、どこか馴染めないのは、少しピントがわたしとズレているところにあるのだろう。
 しかし、わたしは矛盾しているようなことを書くが、もしわたしが太平洋戦争の戦時下にあったとしたら、極ふつうに国家の統制に(違和感を覚えつつも)従っていたのではないかということである。わたしは自国の戦争時に、自分が反政府活動をするような人間ではないように感じている。そしてやはり、いまは太平洋戦争の戦時下とはちがうとも思っている。現在における管理社会への国民の自発的な隷属は、まさにコロナ以前の「日常」から完全に連続していると言わざるを得ない。

おもしろいことに、世界的に進行する「スマホによる民衆統制」に関して、日本は先進的でないことがこのパンデミックで明らかにされた。中国や韓国などでは、特にビッグデータによる危機管理が大活躍し、それがむしろ賞賛されるべき事態になっている。こうなると、わたしのようにスマホどころかガラケーすらもたない人間こそ、新たな「非国民」、「老害」と見做される社会が目前であるともいえようか。すると、わたしなどはどうやら(意図せざる)「レジスタンス」にでも当たるわけだろうか(笑)。

曇。日没前、散歩。平凡写真。








何となく落ち込む。