二槽式洗濯機が壊れました

日曜日。曇。

20200412084302朝、20年間近く(2002年製)使った二槽式洗濯機が突然壊れた。ダイヤルを回してもウンともすんともいわなくなったのである。生者必滅。なむあみだぶつ。
代わりの洗濯機の候補をアマゾンで探す。また太古の二槽式にするつもりである。
とりあえず今日の洗濯物のため、コインランドリーへ行く。

スーパー。しかし買い物メモを家に忘れたことに駐車場で気づき(アホである)、出直し。それから買い物。

家電量販店。二槽式洗濯機なんてあるかなと思ったが、たまたま条件に合うものの在庫があったので、購入。取り寄せないとないかと思っていたので助かった。いまでも二槽式を使う人がいるのですね。

ああ、何か午前中はバタバタしていた。ぽつぽつと雨。

雨。昼からごろごろする。

ブログ「本はねころんで」の数日前のエントリに、「自分の思うところを、そのまま口にして何が悪いのかというのが、近年のツイートやコメント欄で見られる発言であります」とあったのだけれど、わたしは(勘違いかも知れないが)仰るところがよくわかるような気がした。もちろんそこではそのような風潮をよしとされていないわけであるが、わたしもまたかかる風潮についていけない人間である。わたしはクズなのでネットなどを見ているとすぐに「クソが」とか「氏ねや」とか思うわけであるが、それをそのままとか、あるいはその気持ちを引きずったままネットに何か書き込むといったことはまずしない。時代の風潮についていけていないわけであるが、まあ、やりたい人は好きにやってくれという気分である。その類で、例えばホリエモンとかいう人がいかに若い人たちに人気があるか知っていても、いまひとつついていけないものを感じる。まあこれは、わたくしの時代遅れたることそのものであろうが。
 同エントリにある、「人の気持というのは、知恵で制御しなくては、野蛮なものであるようです」というのも、我が意を得るところである。わたしの言葉でいえば、知性と感情は手を携えて進まねばならない、とでもなろうか。知性だけでもダメだし、感情だけでもダメだ。でも、これは元のエントリの趣旨からはちょっと離れてしまうかも知れない。さらに極端なことをいっておけば、科学だけでもダメだし、宗教だけでもダメだ。こうなると、多数の異論も出るところであろう。でも、クズのわたしはそんな風に思っている。