晴。
起きて一時間あまりぼーっとしていた。
NML で音楽を聴く。■バッハのフルート・ソナタ変ホ長調 BWV1031 で、フルートはウィルベルト・ハーゼルゼット、チェンバロはヘンク・ボウマン(NML、CD)。うーん、このフルーティスト、やはりあんまり上手くないな。大好きな曲なのだけれど。たどたどしい感じ。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第三十番 op.109 で、ピアノはファジル・サイ(NML、CD)。
■エルヴィン・シュルホフ(1894-1942)のヴァイオリン・ソナタで、ヴァイオリンはマイア・カベザ(NML、CD)。無伴奏ヴァイオリンのための曲。曲も演奏もいい。■嶋津武仁(1949-)の「カシオペイア」で、フルートはエベルハルト・ブルム(NML、CD)。■ブーレーズのピアノ・ソナタ第二番で、ピアノはピ=シェン・チェン(NML、CD)。これはすごい演奏だ。といっても、わたしはこの曲を全然理解していないから、正しくはこの演奏がどうかということは判断できないというべきである。しかし、鮮烈極まる演奏であることは誰の耳にも明らかだろう。こんなピアニストがいたとはな。それにしても、こういう曲のこういう演奏を聴いていると、自分が平凡な聴き手であることについて、素直に頭(こうべ)を垂れたくなる。
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岐阜県の感染者数は昨日の段階で86人で、人口からするとかなり多いのではないかと思う。いまや感染者数で岐阜県のすぐ上は京都府で、これは大都市をもつ府だ。しかし、マスコミ、例えば NHK の全国ニュースなどでの岐阜県への言及はないといってよく、笑ってしまう。ニュースバリューがないのだな。やっぱり岐阜県だなあと思う。ほんと、どうでもいいことだが。というか、岐阜県がどうでもいいのだね、他からいうと。
ちなみに、岐阜県も今日独自に「緊急事態宣言」を出すことになっているが、それもニュースバリューがない(笑)。他県では誰も知らないだろう。
お昼はカレーだったにゃんこ。にゃんにゃんにゃんこ、にゃんこらにゃん。
■アルヴォ・ペルトの「主よ、平和を与えたまえ」、「石膏の壷をもつ女性」で、指揮はグレアム・ロス、ケンブリッジ・クレア・カレッジ聖歌隊(NML)。ペルトはすばらしいといえばすばらしいし、微妙といえば微妙だな。いずれにせよその「すばらしさ」も「微妙さ」も、ペルトの音楽の通俗性と関係があることはいうまでもない。わたしは本音をいうと、ペルトの音楽を聴き始めると「あ、すごくきれい」と思うのだが、段々眠くなってくるというか、ある種の退屈さを感じないわけにはいかない。それは、否定すべきものではないかも知れないが。
■ストラヴィンスキーの「葬送の歌」 op.5 で、指揮はヴァレリー・ゲルギエフ、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(NML)。近所を散歩。世界が美しい。写真には入りません。
ウチの花海棠(ハナカイドウ)。
風が強すぎて、モンシロチョウが地面に降りていた。飛ばされそう。
カワセミ。獲った魚を飲み込もうとしているところ。
ヒバリが頭上で囀りながら hovering しているのに気づいて見ていたところ、田んぼに降りたので何とか撮ってみた。わかりますかね。迷彩色だなあ。
セグロセキレイ。
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夜、田村隆一『詩人の旅』読了。中公文庫増補新版。すばらしくカッコよかった。そして上手い。詩人にナルシシズムの匂いを読み取ってキライという人もいそうであるが、それはわからないでもない。でも、わたしはそんなことはない。詩人、少なくともここでの詩人は、たぶん多少センチメンタルで、それを包んでしまうために饒舌、サービス過剰なまでに饒舌なのだ。もっとも、わたしがセンチメンタルな人間なので、そう思うだけなのかも知れない。それはともかく、ここまで生き生きとした日本語を読むのはひさしぶりだ。軽いステップを次々とキメていく感じ。詩人の詩は、もうちょっと重かったような気がする。さて、『田村隆一全詩集』があるのは知っているが(県図書館に架蔵されているのはわかっている)、『田村隆一全集』は存在するのだろうか。とにかく、いま田村隆一を読むのはなかなか大変である。田舎の本屋さんには、まったくといっていいほどテクストがないのだ。そんなことでよいのだろうか。
- 作者:田村 隆一
- 発売日: 2019/10/18
- メディア: 文庫