吉田秀和『クライバー、チェリビダッケ、バーンスタイン』

曇。
昨晩は AOJ をやって寝た。

NML で音楽を聴く。■バッハの平均律クラヴィーア曲集第二巻 ~ BWV878-881 で、ピアノはアレクサンドラ・パパステファノウ(NMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第七番 op.10-3 で、ピアノはファジル・サイNMLCD)。

洗濯、風呂掃除。

ショパンの練習曲集 op.10 で、ピアノはヴェロニク・ボンヌカーズ(NML)。なかなか爽快なショパンエチュードだった。この曲集を録音するというような勇気のあるピアニストは少ないのだが、ひさしぶりに聴いてみるといい曲ばかりですね。楽しんだ。

Chopin Études, Ops. 10 & 25

Chopin Études, Ops. 10 & 25

  • 発売日: 2020/01/31
  • メディア: MP3 ダウンロード
ヘンリク・ミコワイ・グレツキの「種をたずさえ泣きながら出ていく人は」 op.32 で、指揮はジョン・ネルソン、シカゴ・リリック・オペラ合唱団、シカゴ交響合唱団(NMLCD)。


昼食はうどん。老母が半分くらい手伝ってくれた。短時間ならだいぶ動けるな。

ショパンの練習曲集 op.25 で、ピアノはヴェロニク・ボンヌカーズ(NML)。ホント爽快。


カルコス。文庫新刊をいろいろ買う。読むのが特に楽しみなのは、文庫オリジナル編集の吉田秀和さん『クライバーチェリビダッケバーンスタイン』と、米本浩二という人の『評伝 石牟礼道子』。吉田秀和さんの文庫本の題名には超有名指揮者の名前がずらりと並んでいて、この人たちはかつてよく聴いたが、いまはもう聴く気があまりない。石牟礼さんの評伝は読売文学賞受賞作ということであるが、わたしは何にも知らなかった。米本浩二さんというのは毎日新聞の記者ということで、この人についてもわたしは何も知らない。あとは、中公新書新刊など。あいかわらずレヴェルの高い新書であるなと思う。

イオンモール各務原ユニクロでルームパンツとやらを購入。食料品は愛知県産の海苔を買う。それから、老母のリクエストである、「恵那 銀の森」の「お陽さまが焼いたアップルパイ」1080円。あとで皆んなで食べたが、おいしかった。


夕食はサケの「にんぴづけ」、コウサイタイとサラスパのサラダ。ところで「にんぴづけ」だけれども、老母がそう覚えていて、ウチではずっとそう呼んできたのだが、ぐぐってもよくわからないのだよねえ。「忍皮漬け」というのは出てくるのだけれど、何かちがう。ウチで言っているのは、サケ(サバでもよい)を焼くか揚げたりしたものを、酢と醤油と砂糖を合わせたタレに漬け込んだ料理である。老母に教えてもらいながら作った。
いやもう、鍋とはちがった料理でうれしい。

吉田秀和クライバーチェリビダッケバーンスタイン』読了。僕は吉田秀和さんは高校生のときからずっと読んできたので、正直言っていまさらという感じもする。吉田さんはもちろん、日本のクラシック音楽批評家として、空前絶後の存在であることは当り前で、特に強調するまでもない。音楽の理解において、そしてそれを文章で表現する技術において、圧倒的な音楽評論家であった。しかし、表面的なことに限っていえば、わたしには吉田さんの典雅で正確な文章は、少し甘すぎるともいえる。わたしに吉田さんの文章がどれだけ理解できているか疑問だが、それでも(いや、それゆえに)もういいのだ。
 最近気になるのは、吉田秀和さんの「影」とか「闇」の部分である。わたしは確信しているが、吉田さんは音楽を聴いて感じたことの、半分も文章にしていない筈である。いや、それはどんな物書きでも当然のことであろうが、とにかくわたしはは吉田さんに、かなり意地の悪いともいいたいような、文章にしなかった重要な「闇」があったような気がしてならないのだ。そしてそれがあるからこそ、いまでも吉田秀和は読むに値する文章家なのだという気がする。吉田秀和の「本性」は、見かけよりももっとどろどろしている筈なのである。でなければ、甘ったるい、無害な大批評家として忘れられていくことであろう。ってしかし、わたしは何様なのだ。ただのハッタリ屋ではないだろうか。