細野晴臣『とまっていた時計がまたうごきはじめた』

曇。
早起き。午前四時頃いちど目が覚めたが、また寝た。

何もする気がせず、ごろごろする。

母から父へ電話があり、先生の診察があったそうだが、緊急にどうということはなく、とりあえず様子を見ましょうということだったらしい。わたしが無い知恵を絞って考えていた悪いケースではなかったようなので、こちらもとりあえず安堵する。あとは、わたしの考えていたよいケースだとよいのだが、それはわからない。とにかくあんまり期待すると後がこわいので、あまり考えないようにする。

予約してあった皮膚科受診。こちらも大したことはなく、薬をもらって帰ってきた。

NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏チェロ組曲第一番 BWV1007 で、チェロは藤原真理NMLCD)。■スカルラッティソナタ K.91 で、ヴァイオリンはモニカ・ハジェット、チェロはクリストフ・コワン、チェンバロスコット・ロスNML)。
 

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コメダ珈琲店那加住吉店にて昼食。今日は老父とは別々だ。ミックストースト+たっぷりブレンドコーヒー1170円。細野晴臣『とまっていた時計がまたうごきはじめた』読了。東日本大震災一年後の、細野さんへのインタヴュー集である。聞き手は鈴木惣一朗。この本、前にも単行本を図書館から借りて読んだのだが、これは平凡社ライブラリー版を買った。わたしは音楽のこと、特にポピュラー音楽のことはよく知らないのだが、本書はとてもよかった。わたしは細野さんはまあ何十年、30年間くらいだろうか、折りに触れ聴いてきた。学生の頃はじつによく聴いていたと思う。90年代だから、細野さんはアンビエントをやっておられた頃かな? でも、それ以前のもの、例えば『フィルハーモニー』とか『メディスン・コンピレーション』*1とかをよく聴いていた。YMO の細野さんという意識は、あまりなかったように思う。あと、中沢さんとの対談集に『観光』というのがあって、これが好きだった。まあもちろんすごい人なのだけれど、ゆるいんですよねえ、本書でも。わたしの中にもゆるいところがあるので(あるのですよ)、そこに共感(共鳴?)する。手垢がついてあまり好きな言葉ではないのだが、「自然体」というのかな、イヤな言葉ですけれど。なんとなくの人といってもいい。でも、それだけではかほどのものを生み出すことは出来なかった筈なのだが、やっぱりゆるくて、やはり好きだなあと。

インタヴュアーの鈴木惣一朗さん(この人も音楽家である)という方はよく存じ上げないが、細野さんへのリスペクトが自然で、へんなことを訊かないしツボをわきまえておられるし、よかった。同じ細野さんへのインタヴュー集に『分福茶釜』というのもあって、これも平凡社ライブラリーに入っている。


面会。多少元気が戻って、コンビニで新聞を買ってきて、隅々まで読んだといっていた。何か、先生は想定内で、検査とかもなかったらしい。食事もふつうにあったという。これって、とりあえず安堵してよいのか。正直言ってわたしは安堵したが。とにかく、人間気の持ちようがすごく大事だというのが、気づきである。健康そのものと同じくらい、気の持ちようが大切だ、というのは当り前なのだが、いまさら得心した。

夕方、ごろごろする。

ああ、また風呂を洗い忘れていた。大丈夫かね、俺も。

夕食はキムチ鍋。コウサイタイ(紅菜苔)を茹でたもの。

*1:そうか、このアルバムはアンビエントかな。