唐澤太輔『南方熊楠』

昨日疲れすぎて、うとうとしかできず。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第一番 K.279 で、ピアノはクラウディオ・アラウNML)。

Mozart: Works for Piano

Mozart: Works for Piano

スカルラッティソナタ K.46, K.47, K.48, K.49, K.50 で、チェンバロスコット・ロスNML)。

昔の写真を見ていたらきれいだったので、貼っておきます。自己満足(笑)。

晴。
洗濯。洗うものが溜っていてたくさん。風呂掃除。

午前中、妹とスーパー。
昼食は雑煮。前の反省点を改善(?)して、なかなかうまくいったと思う。

昼から面会。昨日よりは随分安心して見ていられる顔になった。手術後第一日なので、どうしても熱があるらしいが。もう、少しだけ歩かされたそうである。そして、妹がいろいろテキパキやってくれて助かる。
妹帰る。お世話になりました。ありがとう。

夕方、少しだけ寝る。

夕食はブリとタイの刺身、妹が作っておいてくれた味噌汁、ほうれん草のおひたしにおせちの残り。デザートはウチの蜜柑。まあそれなりにおいしかったのではないか。

唐澤太輔『南方熊楠』読了。先日も書いたが、大変におもしろい本だった。熊楠はもちろん常人とはかけ離れた広大な精神の持ち主であったが、本書の著者もわたしよりずっと遠い射程をもった人である。本書は熊楠の小さな評伝であるが、著者は振幅の極端に大きい熊楠を正面から扱って、破綻なく論じきっておられるだけで非凡である。仮に熊楠について簡単な伝記的事実を知りたいと思って本書を読んでも、無理なくそれ以上のものが得られるであろう。熊楠の外面的な伝記的事実だけでなく、「南方曼陀羅」のような熊楠の最深部まで、着実な理解を推し進めているのが力作たりである。そして「やりあて」の語の発掘とそれへの注目は、著者独自のもので、すばらしい。著者なら、もっと遠くまでいけるのではないか。

南方熊楠 - 日本人の可能性の極限 (中公新書)

南方熊楠 - 日本人の可能性の極限 (中公新書)

「おわりに」を読むと著者は本書、つまり新書本の執筆に二年間をかけたことがさらりと書いてあるが、これは「インスタント本」の真逆ではないか。とても気合の入ったことである。こういう人もまだ存在するのだな。いま、わたしはあまり本が読めないのだが、こういう本なら話は別である。

「南方二書」を読む。