ジョン・ダワー『増補版 敗北を抱きしめて(上)』

晴。

午前中ごろごろ。

昼からもごろごろ。

ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。エンゼルクリーム+ブレンドコーヒー399円。図書館から借りてきた、ジョン・ダワー『増補版 敗北を抱きしめて(上)』読了。第三部を読んだ。いま脳みそ絶賛ぶっ壊れ中なので面倒なことが書けないが、さて本書は日本人の書きにくい「日本人の恥」を書いているなと思っていたら、アメリカ人の書きにくい筈の「アメリカ人の恥」を(たぶん)正確に大量に書いているので驚いてしまった。日本を「改革」しようとした GHQ の連中は、マッカーサー以下日本の実状にじつに無知な輩なのである。そして、占領軍兵士たちの多大なる人種的偏見。「日本の民主化」というのは、じつに占領軍の無知と蛮勇の賜物であったとすら言えよう。それはほとんど偶然の達成なのであって、例えばいまわたしはアミン・マアルーフの『世界の混乱』を読んでいるが、現在の欧米諸国は、イスラム教国家の「民主化」などじつはまるで信じていないのである。それにしても、わたしは自分が「敗戦後日本」の実状をあまりに知らないことに気づきつつある。しかし、少なくとも我々の世代以降、この無知はおそらくわたしに限ったことではないにちがいない。ま、人のことはいいか。

敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人

敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人

しかし、「あなたの子供を産みたい」とマッカーサーに手紙を書き送った日本の女性が多数いたというのは、日本人が敗戦を性的に受け取っていたことの証でないとしたら何なのだろう。日本は敗戦でアメリカに強姦されたと言った岸田秀を、ちょっと思い出させる。かかる心性は、いまはどうなったのか知ら。さても、いまの日本人の対米従属、アメリカの属国としての日本は、ますますその度合いを強めているわけであるが。いや、これは既に紋切り型の意見ですかね。


無謬な人間などまずいない筈なのに、多くの人が自分で自分のことを無謬視するのがコワい。わたしなどだと、ブログの過去記事を探せば誤りなどいくらでも見つかるだろう。しかし、自分の誤りを認めて真実を受け入れるのはなかなか人間にはむずかしいのだよね。自分も、いざというときそれができるだろうか。ネット時代というのはむずかしいな。


アミン・マアルーフを読む。ナセルがそれほどまでにアラブ世界の希望を一身に集めていた存在だったというのは知らなかった。誇り高きアラブ人が欧米人に感じざるを得なかった屈辱感を、ナセルは晴らしてくれるように思われたというのだ。実際、エジプトとシリアはひとつの国になるところまでいったし、短期間ではあるがイラクとヨルダンまでそこに参加するところだった。しかし欧米諸国がそれを許す筈がなかった。最終的にナセルは多くを失うが、それ以来ナセルの代わりになるような人物は出なかった。以降ナセルはアラブ世界の指導者の意識せざるを得ない存在になっているらしい。おそらくそれはいまでも。

そう、アラブ人たちの屈辱感。我々はそれを感じることができるのだろうか? また、欧米人はその屈辱感をわかっているのだろうか。いや、わかっていて、その上でああいうことをやってきたし、いまでもやっているのだろうな。