多和田葉子『アメリカ』 / イサク・ディネセン『アフリカの日々』

深夜起床。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十六番 op.81a で、ピアノはフリードリヒ・グルダNML)。

Friedrich Gulda: The Stuttgart Solo Recitals (Live)

Friedrich Gulda: The Stuttgart Solo Recitals (Live)

シューベルトのピアノ・ソナタ第十四番 D784 で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテルNMLCD)。■ブラームスピアノ三重奏曲第一番 op.8 で、演奏はチャン=ラーソン=ベイ・トリオ(NML)。なかなかよかった。
Three Strands

Three Strands

スクリャービンのピアノ・ソナタ第三番 op.23 で、ピアノはアンナ・ゴラーリ(NML)。よい演奏だった。数あるスクリャービンのピアノ・ソナタの中でも、特にこの曲を選んでくるところに共感せざるを得ない。スクリャービンのピアノ・ソナタの中で、自分はこの曲がいちばん好きだ。
Desir

Desir

👆またアマゾンの表記がいいかげんで、このアルバムはゴラーリの独奏です。

明け方からしばらく寝る。

晴。暑い。
ごろごろ寝てばかりいて本も読みたくないし、ネットを見てもほとんど「ちがうな」と思うばかりでつまるところ衰弱の一途を辿っていて、ブログもメモ程度になりそうな気がする。もうこいつはダメになったとお見捨ておき下さい。


まあグズグズ言っていても仕方がないので、頑張ってイオンモールミスドへ行く。エンゼルフレンチブレンドコーヒー410円。多和田葉子さんの『アメリカ』という小説を読む。「非道の大陸」という副題が付いているが、さてどういうことか。元気のないときに多和田葉子さんのような面倒な小説は読むものではなかったかも知れない。『アメリカ』というのはカフカを意識しているのか。あいかわらずおもしろくない小説であるが、いつもながらどこか苛立ち、不愉快にさせられる文章は非凡だ。僕は多和田さんの小説は、不愉快になるために読むものだと思っている。そういう読書も必要なのだ。

カルコスに寄る。結局何も買わなかったのだが、おやと思う本もあった。岩波新書の『モンテーニュ』は買おうか迷った末に止めたのだが、モンテーニュは学生のときに岩波文庫の五冊本(だったっけ)を読んでからずっと興味はいだき続けている。中公クラシックス版(だったっけ)でも読んだが、何となく、最初に読んだ岩波文庫版の翻訳の印象が強い。パスカルモンテーニュをよく読んでいたのだが、『パンセ』でモンテーニュは下品だとか文句を書き付けていた筈である。そんなことを思い出す。モンテーニュには「旅日記」みたいなものもあって、こちらは内容はあまりないといえばないのだが、おしっこが出たとか出んとか、奇妙におもしろい本だった筈だ。
 それから、梯久美子さんの『狂うひと』が文庫化されていた。これは図書館にあることがわかっているので買わない。もっとも、老母の感想だとウンザリさせられる本らしいので、読むかどうかは未定である。島尾敏雄もミホさんも文学に狂ったひどい人間だったというのは、本書あってか、最近よく言われるようになったことだ。が、わたしはよく知らない。息子さんはひどい両親にひどい目にあわされたそうである。そんな人間の書いた『死の棘』(未読である)が戦後文学を代表する小説といわれているのは、文学の狂気を感じさせられないでもない。
 新聞広告にあった『栗本薫中島梓』が入っていたのでちょっと中身を見てみたが、なかなかおもしろい。栗本薫はわたしにはもっぱら例の世界最長の小説(栗本薫の死で未完になった)の作者であるが、ものすごい天才だったことが本書にはこれでもかと書いてあった。わたしは高校生のときから栗本薫が亡くなるまで、その小説を読み続けていた。いまでは別の人が続きを書いているが、そこまではフォローしていない。


図書館から借りてきた、多和田葉子アメリカ』読了。上に書いたことに特に付け加えることはない。青土社の本なのだな。青土社、この前に読んだのは何だったか。ブログ検索してみると、蜂飼耳さんの『朝毎読』だった。

アメリカ―非道の大陸

アメリカ―非道の大陸

イサク・ディネセン『アフリカの日々』読了。横山貞子訳。これはすばらしい本だった。特に文章がすばらしく、それは訳文からもありありとわかる。というか、翻訳のレヴェルもとても高いのであろう。著者がアフリカで現地人を使いながらコーヒー農園を切り盛りする日々が描かれるのであるが、訳者もあとがきで述べるごとく、本書はたんなる記録ではない。敢ていうなら、文学という他あるまい。著者にはヨーロッパ人以外は人間ではないという誇り高い、文明人の高貴さがあり、ある意味ではアフリカ人を、高貴で限りなく美しい獣のように見做しているところがある。そしてその獣を心から愛し、それに共感しているのだ。たぶん、仮に相手が日本人であっても、我々が人間と見做されることはないように思える。これこそが、文明の体現者と自負する、誇り高きヨーロッパ人の姿なのである。いや、それは極端な見方というべきだろうか? わたしは知らない。しかしわたしはそのような著者であるからこそ、本書は強く感動的なのだと思う。もっともそれは、西洋人とキリスト教徒に対してわたしの抱く大きな偏見ゆえかも知れないが。

アフリカの日々 (河出文庫)

アフリカの日々 (河出文庫)