サルスティウス『ユグルタ戦争・カティリーナの陰謀』

雨。
ひどい夢を見た。これはいかんな。

サルスティウス「ユグルタ戦争」読了。

午前中、甥っ子の勉強を見る。私立大学の英語の入試問題からの出題、むずかしいというか、何かへんだ。アクロバティックでパズル的で、なかなかネイティブでもこんなへんな書き換えは思いつかないのではないかというのとか。まあ、わたしは語学は苦手ですけれどね。こんなのもう忘れたよ。


曇。一気に涼しくなった。25℃以下。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。フレンチクルーラーブレンドコーヒー378円。関川夏央さんが読みたかったので、図書館で『戦中派天才老人・山田風太郎』を借りてきた。それを読む。1995年の出版で、もう20年以上も前だ。まだ関川さんも若かった筈である。山田風太郎の評伝かなと中身も確かめずに借りたが、開いてみたらインタヴュー形式の聞き書き本だった。ただし、山田風太郎の発言を捏造していないだけで、かなり自由に再構成しているようだ。中身は気楽に読めてじつにおもしろいので、こういう本については面倒なことは書かない。ひさしぶりに愉快な本を読んでいる感じ。とか書いているが、わたしは山田風太郎はまったく読んだことがない。本書を読みながら、有名な『戦中派不戦日記』と『人間臨終図鑑』はやはり読んでみたいなと思った。
 ちなみに、わたしが学生の時に友人から「何かべらぼうにおもしろい本はないか」と問われて、読んだこともない山田風太郎忍法帖を勧めたことがある。友人が満足したかは知らないが、さても「思ったより淫靡だね」という感想は聞いたのだった。

これだけ涼しくなってくると、そろそろ散歩が再開できそうである。

サルスティウス『ユグルタ戦争・カティリーナの陰謀』読了。

ユグルタ戦争 カティリーナの陰謀 (岩波文庫 青 499-1)

ユグルタ戦争 カティリーナの陰謀 (岩波文庫 青 499-1)

岩波文庫としてはそれほどぶ厚いわけではないと思うが、それでも1000円を超えてしまうようになったのだな。仕方がないだろうけれども。


昨日のエントリで「東さんは『地方』というものがまったくわかっていない、東京の人」と何となく書いたのだが、正確にはどういうことだろうと自分で考えた。そしてたぶん、それはわたしの「東京」への勝手な嫌悪感のようなものから来ているのではないかと思った。どういうことかというと、「大地」から離れた完全に人工物の世界で暮らし、そのことを肯定することに対する、嫌悪感のようなものであろう。それはむしろ、地方在住者の共通認識ではあるまい。本当にわたしの個人的な思いで、そういうことを感じている地方在住者はおそらく少数派なのだ。

たぶん、地方在住者のマジョリティは完全人工物の世界が好きなのである(度々例に挙げて申し訳ないが、イオンモール!)。だから「東京」にあこがれる。

「完全人工物の世界」というのは、「完全に管理された世界」と言い直した方がよいのかも知れない。それは「リスク0 社会」というものと関係があるように思う。

「完全に管理された世界」というのは、「東京」であろうが地方であろうが変わらないともいえる。しかし地方では、たんに管理者の数が足りない、あるいは管理に伴うメリットが少ないという理由で、ある意味では「自由」に放ったらかしになっている側面がある。それゆえ、わたしなどはまだ一息つけているのかも知れない。しかし技術的な進歩で、そのうち地方でも世界の管理が進むのは時間の問題な気がする。さて、では人そのものがいなくなってしまった世界では、管理に何の意味があるのであろうか?

あるいは世界の荒廃は我々の「希望」なのであるか? 救いはそこにしかないのか? だとしたら、ひどい話である。いずれにせよ、日本の人口は大きく減り、さらに一極へ集中するのであり、高齢化した田舎*1の荒廃は不可避だ。

*1:なお、わたしの住むのは「田舎」とはいえないかも知れない。むしろ郊外化しつつあり、子供も増えている。いまのところ、辛うじて「大地」との繋がりを保っているというところだ。