こともなし

晴。気持ちのよい気候。

ぐーぐー寝てばかりいる。

昼から、ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。もっちりフルーツスティック シナモン+ブレンドコーヒー410円。村田沙耶香の『コンビニ人間』を読み始めるも、五分間ほど読んだところでもう読めないなとわかってしまう。別に文章が悪いとかそういうことではなくて、たんにこちらが悪いだけだ。なので、あとは数分で全体をざっと見ておしまいにする。これは本書を読んでいない人間のつぶやきでおそらくまちがっているだろうが、一応書いておくと、主人公はやはり何かの精神的な病を患っておられるのではないか。もちろん人をゆえなく精神病者呼ばわりするのは最低の人間で、自分も好んでそうしたいわけではないが、どうもそんな気がしてしまう。ではどんな病かというとわたしにはわからないので、じつにエーカゲンなものだが。ただ、わたしの知っている限りでは心の病を患っている人はたいていそのことで自ら苦悩していて、なんとか「健常者」として生きたいと多かれ少なかれ思うような気がするが、本書主人公のように「病識」はある程度ありながら、そのことにまったく苦しんでいないという人はいるのだろうかと思う。まあ、いるのかも知れないな、自分が知らないだけで。

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

みすず書房から出た野呂邦暢の随筆コレクションを読む。

野呂邦暢を読むといろいろな思いが湧いて出てくるが、野呂を語るべき人は他にたくさんいるので、あまりここに書こうとは思わない。野呂を読んでいると、自分の感情がいきいきと動くのを覚える。わたしはセンチメンタルな人間なので、何の変哲もないところで熱いものがこみ上げてきたりする。野呂は享年四十二という早死だったので随分と昔の人に感じられるが、平均寿命が与えられていればいまだに現役だったとしても決しておかしくはない年代の作家だ。しかし、それは到底考えられないことでもある。いつかは時代が野呂を殺した気がしてならない。

巻頭に収録された野呂の写真を見ると、意外にふつうの人という感じだ。なんとなく、もっとハードボイルドなイメージがあったが。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのフルート四重奏曲第四番 K.298 で、フルートはクリストファー・ハイド=スミス、カミングス弦楽三重奏団(NMLCD)。■ベートーヴェン交響曲第四番 op.60 で、指揮はクラウディオ・アバドベルリン・フィルハーモニー管弦楽団NMLCD)。ベートーヴェンの生命力の根源に触れているのを感じる。アバドは病気をして以降の方が、遥かにラディカルになったな(病気のせいかはわからないが)。しかしこういうのを聴いていると、これが聴けるオレもなかなかじゃないかとちょっと自信を覚えるのがわたしの稚気である。■武満徹の「ノスタルジア」、「虹へ向かって、パルマ」で、指揮は岩城宏之メルボルン交響楽団NMLCD)。こういう演奏で聴くと、武満はベートーヴェンの後で聴いてまったく違和感がない。しかし、僕はちょっと岩城宏之さんを見くびっていた気がする。「虹へ向かって、パルマ」とか、じつに感動的だった。僕はエラそうなことは書いているがまだまだ武満は全然聴けていなくて、これは自己卑下なんかではなく、まだまだ未知のすばらしい世界が残っていることをよろこんでいるのである。もっともっと、武満の世界を知りたいものだ。あとは、いまの演奏家たちが武満のコスミックな感覚を十全に表現してくれることを祈るばかりである。■モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第十八番 K.301 で、ヴァイオリンはグナール・レツボール、チェンバロはエーリヒ・トラクスラー(NML)。古楽器による演奏で、よく知った筈の曲が新たに生まれ変わったかのよう。モダン・ヴァイオリンとピアノによるものに比べて、じつにシャープでノイジーな仕上がりになっている。これは残りを聴くのが楽しみ。

Mannheim 1778

Mannheim 1778

スカルラッティソナタ K.20, K.98, K.27, K.436, K.141, K.213 で、ピアノはマイケル・レヴィン(NMLCD)。ピアニストは天才ではないのだが、たぶん若くて、自分の能力に自信満々なのであろうとも思える才気煥発ぶりが楽しい。若さの特権であろう。

そういう、ソーシャルな価値基準からしてより望ましい増税策がほとんど実現の見通しがなく、その中で財源が無いからといって弱い立場の人々のための財政支出が削られていく中で、せめてものよりどころになりえたはずの消費税が、かくも「反緊縮」の旗印の下で叩き潰されてしまえば、それに代わる財源など追ってこれる政治力などあるはずもなく、これ幸いとますます緊縮財政に拍車がかかるだけになるでしょうね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-401192.html

濱口先生のブログから。なるほど、濱口先生は消費増税に賛成なのだな。その根拠は、(社会保障費に当てるための)消費増税以外の増税の実現は絶望的だからというものである。悲観的というか、現実的というか、しかしこれはこれで弱者に対して筋の通った議論である。濱口先生は、消費税の逆進性、景気の悪化の可能性を考えても弱者のためには消費増税しかないとお考えなのだな。そのあたりどちらの議論が正しいか、わたしには判断する術がない。素人考えだと、濱口先生の議論の方が弱い感じがするが、それはわたしが素人リフレ派脳であるからそうなのである。いずれにせよ、濱口先生も「反緊縮」ではあるようだし*1、それにわたしはいろいろな考え方が知りたい。

ちなみに、いわゆるリフレ派の中の口汚い論者たちにはわたしはいいかげんウンザリしている。他人をクズという人間はその人自身がたいていはクズであるというわたしの経験則は、ここでも残念ながら正しかったようだ。一方の濱口先生がそうでないことを祈りたい。

しかし、素人のわたくしごときが何だろうね。エラソーすぎやしないだろうか。そんなことは学者にまかせておけとも思わないでもない。不幸な時代である。

*1:消費増税しても「反緊縮」は可能であるとの立場?