堀江敏幸『傍らにいた人』

雨。
昨晩、『ウェルギリウスの死』(川村二郎訳)を読み始めた。

ツイッターとかで簡単に司馬遼太郎さんをバカにしている奴が少なくないけれど、びっくりさせられる(で、それがいっぱいリツイートされたりする)。えりにえってお前がいうか、という感じ。こういう人たちにバカにされるというのは、むしろ名誉かも知れない。いずれにせよ、どうでもいい人たちなのだが、こういう人たちが大多数派なのが現在だ。

大多数派? そんなことはないかな。しかし、それが若くて優秀な人たちのトレンドであることは間違いあるまい。知識人でも、柄谷行人さんとか斎藤美奈子さんとかが思い出されるな。まあ、柄谷さんと斎藤さんじゃたいぶタイプがちがうが(笑)。いや、意外と似ているのかも。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第一番 K.207 で、ヴァイオリンはヘンリク・シェリング、指揮はアレクサンダー・ギブソン、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団NML)。こうやって NML の新着でドンとまとめてシェリングモーツァルトが置かれてみると、ちょっと聴かないわけにはいかないな。もし仮に(ないと思うが)何かで音楽がきらいになっても、シェリングを聴けば一発解消されるにちがいない。しかし、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲というと三番以降ばかり演奏されるが、これだってすごくいい曲だな。あまり知らなかったのだけれど、さすがモーツァルトの若い頃の作品で、じつにフレッシュだ。

なお、このリンクはドイツのアマゾンの、それも LP レコードへのそれなので注意(笑)。■プロコフィエフのピアノ・ソナタ第七番 op.83 で、ピアノは上原彩子NML)。ちょっとこの曲が聴きたくなったので探したら、上原さんの録音があったので聴いてみた。じつは上原さんはわたしと同郷、岐阜県各務原市の出身で(中学はわたしの後輩ということになる)、わたしは何となく親しみを感じている。一般にはチャイコフスキー・コンクール(2002年)の優勝者として知られているだろう。この人はちょっと変っていて、音大に行っていない。ピアニストには人生経験が大事というような考えの持ち主で、高校も地元の高校である(たまたま私の妹の後輩なのである)。いまは結婚してお母さんだ。こういうことはとても勇気の要ることで、まあレッスンは新幹線で通ったり、苦労もされていて、そのようなやり方に陰口があったことも知っている(地元ですからね)。で、自分はこの人は肝心のピアニストとしてなかなかだと思っているのだ。それは同郷のよしみで目が曇っているとか、万万ないと思う。先にこの演奏の欠点(と自分に思われるもの)を述べておくと、この人はロシアものを得意としていて、しかもパワー系のピアニストとして売り出されているが、これに関する限りパワーと抒情があまり溶け合っていないと思う。もともと曲がかなりいびつでもあるのだが、パワーはすごいけれど、すべっているというか、ちょっとうるさい感じ。むしろ、プロコフィエフの抒情の表現がすばらしい。この人はロシアものといわれるだけあって、相当に感性の幅が広いところがあると思うが、それの生み出す抒情に強く惹かれるところがある。これがパワーとうまく噛み合ったら、かなりすごいピアニストになるんじゃないか。自分は以前この人がモーツァルトのピアノ協奏曲(二十二番だったか、ちょっとうろ覚えであるが)を弾いているのを、YouTube で聴いたときの印象が忘れられない。かなりよかったです。応援しています。

プロコフィエフ作品集

プロコフィエフ作品集

しかし、上原彩子=ロシアものっていうイメージづくりというのは、よいことなのかな。もちろん本人も得意にしているのは事実だろうが。まあしかし、特徴があった方がよいというのはそうかな。認知されれば、またいろいろ弾けるだろうし。

上原さん、検索してみると記事はかなり多くて、それも好意的なものが目につく。しっかり活躍されているようでちょっとうれしい。同名の有名なゴルファーもいらっしゃるね(笑)。

曇。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。フレンチクルーラーブレンドコーヒー378円。図書館から借りてきた、堀江敏幸『傍らにいた人』読了。いつもながらじつに上手い文章だ。この人の文章は上手すぎるくらいで、それが真情かどうか疑われるようなところがあるほどである。もっとも、「真情」などというものがあるのか、という考え方もあろう。我々は「感動した」と書くからこそ、感動するのだ、それはまた真実にも思われる。とにかく、堀江さんを読むと、ついいつもそう感じてしまうのは事実だ。文章が上手すぎるというのも、あるいは考えものかも知れない。それから、堀江さんは意外にも「深さ」を目指さないところがある。常に注意深く、表象以外のものが除かれているかのようだ。いかにそう見えなくても、やはり表象文化論の時代の子なのではないか。それもまた、「真情の欠如」を例証しているようにも思われる。それにしても堀江さんはよく近代日本文学を読んでおられるな。僕はあまり読んでいないのだが、というのも基本的に文学というものがわからないからだが、最近もう少し近代日本文学を読んでみたい気がしている。

傍らにいた人

傍らにいた人

どうも多少気がくさくさするので、カルコスに寄る。余計気がくさくさするところもあるが、ボルヘスの文庫化や、草思社文庫というのの岩田宏さん(いつも愛読するブログで教えられたものだ)を見つけて、少し気が晴れた感じ。ゆたさんの教えて下すった、岩波文庫新刊の井筒先生も実見した。さすがに単行本でもっているので買えなかったけれど、これは岩波文庫らしい。新書コーナーはうんざり。まともそうな新刊を探すだけで疲れてしまう。新書は何も買わず。
 しかし、文庫新刊を見ていても、出版社に余裕がなくなってきているのが如実にわかる。あとは大崩壊がいつ来るか、時間の問題だろう。もちろん、そうならないことを願うが。


AOJ。この問題Ruby で 0.03秒とか、信じられないな。すごい人がいるものだ。ちなみに自分はバックトラック法で 3.7秒くらいかかった。メモ化に落とし込むのが常道なのだけれど、こういう問題でメモ化できるというのが真似ができない。

今日はちょっと口がまわりすぎている気がする。


ヘルマン・ブロッホを読む。結構がんばって読んでいるのだが、ようやく半分くらい。正直言ってブロッホは自分には高級すぎる感じだけれども、川村二郎さんの翻訳文にはつくづく感じ入る。わかりやすい訳文に慣れたいまの人には、ちょっと大変かも知れない(そうでないなら、すばらしいです)。こんな凝った翻訳は、いまでは到底誰にも無理なのではないか、と思うくらい。

むかし蓮實重彦大先生が川村二郎さん*1をあからさまに格下に見ている発言があって、いまそれを思い出してしまってちょっとかなしい気分だ。大先生に悪気があったわけではないということはわかるのだが。オレの方が頭がいいごっこはホント疲れるな。自戒。

*1:ドイツ文学者の、という注が要るかな? 白洲正子の伝記を書いた人ではありません。