雨。
寝坊。
つけ麺「丸和」各務原分店にて昼食。丸和つけ麺830円。中盛のつもりで「並」と注文したらこれは小のことでした。まあでもおいしかった。たまに食べたくなる。開店 2分前くらいにいったのだが、もう何人か並んでいた。開店して 10分ほどで満席に。カウンター席のとなりは若い女の子だった。いまは若い女の子ひとりで平気でラーメン屋に入れる時代になったのだな。当り前のことなのだが、よろしいことである。
今日は一日ぼーっとする予定(?)。
三時間くらい窖でぼーっとしていたらさすがに飽きた。外はすばらしい天気である。老父の畑でぼーっとしているといい気分だ。水仙の小さな花たち、むくむくした鳥たち、キラキラとした川の流れ、青い空。これで静寂だったらもっとよかろうが、ウチは主要幹線道路に近いし、工場では金属を切る音がしたり、そういうわけにはいかない。しかし、それも既に慣れている。
夕方、ドラッグストアまで散歩。
もさもさ。
わたしのよく散歩するこの風景も、そのうちなくなることが決まった。このあたりに家を造って越してきた人たちの主張で、舗装されて柵ができるとのこと。飽くなきリスク 0 社会へ、こんな田舎でも驀進している。今日もここでカワセミを見た。このところ、二回に一回くらいの割合で見るから、ここを縄張りにしている同一個体であろうか。近くの枝に留まったので是非撮りたかったが、一瞬遅かった。
カルガモはふつう臆病なのだが、こいつらは全然逃げなかった。
印象派風。
何の実か知らない。
春が近い。
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NML で音楽を聴く。■モーツァルトの交響曲第三十九番 K.543 で、指揮はヘルベルト・フォン・カラヤン、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(NML)。1987年の録音。カラヤンのモーツァルトを聴くというだけで音楽のわからぬ輩と見做されるという、クラシック・ファンとかいう連中は面倒な奴らであるが、幸いわたしはそういう人種とは関係がない。わたしにはカラヤンという指揮者は昔からずっと、いまでもだが、謎めいたそれである。フルトヴェングラー最高、それはわかるしそうかも知れないと思うが、わたしにとってフルトヴェングラー=超カッコいいで、きわめてわかりやすい。カラヤン=人間的に最低説もあるが、そうなのか。カラヤンの演奏は確かに60年代、70年代、80年代で大まかに分けてよいと思われる。80年代のカラヤンはちょうど自分はその最後に間に合ったという感じで、現役の指揮者であり、ふつうに新譜を聴いていた。60年代は後から聴いて大袈裟でなく度肝を抜かれた。こんな指揮者がいたのか!という感じである。70年代は、確かに悪しきカラヤンかも知れないが、趣味の悪い演奏が超絶的に美しかったりする。まあそんなで、わたしにはもっとも謎めいた指揮者がカラヤンであるといっていい。そもそも、自分はカラヤンの限界点がよくわからなかったりする。何で無駄に(?)こう限界点が遠すぎて、わからないのか。これに比べれば、フルトヴェングラーなどは簡単なものだ。とにかくカッコいいって言ってりゃ済むのだから。
- アーティスト:カラヤン(ヘルベルト・フォン)
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2013/03/20
- メディア: CD