リチャード・E・ルーベンスタイン『中世の覚醒』

雨。
昨晩は『禅海一瀾講話』を読んで寝た。このところ本を読んでいないせいかプログラミングばかりしているせいか、ダムの貯水量が少なくなってきている感じ。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのグラーフのオランダ語歌曲「われら勝てり」による8つの変奏曲 K.24、ネーデルラントの歌 「ヴィレム・ファン・ナッサウ」による7つの変奏曲 K.25、サリエリの「わがいとしのアドーネ」による6つの変奏曲 K.180 で、ピアノは野平一郎(NMLCD)。


リチャード・E・ルーベンスタイン『中世の覚醒』読了。このところ本を読んでいなかったので、読みさしの本書をリハビリ代わりに読んだ。訳書の題では内容がわかりにくいが、ヨーロッパ中世における知識と信仰の世界における、アリストテレスの影響を小説のような(ほとんど通俗的な)筆致でいきいきと描いた本である。著者はアメリカの大学の先生ではあるが中世の専門家ではなく、紛争解決や公共問題の専門家であるようだ。しかし本書を執筆する過程では大変に勉強されたようで、もちろん自分の知らぬことは多かったし、切り口が新鮮に感じられた。原題を直訳すると「アリストテレスの子供たち」というような感じである。まあいま現在読書リハビリ中で碌な感想は書けないが、それにしてもキリスト教の「神」というやつには考えさせられる。仏教徒の自分はあさはかなキリスト教徒が考えるような「神」(どんな「神」だ)はたぶん存在しないと思っているが、本書の登場人物でいえばマイスター・エックハルトのようなキリスト教徒が「見た」「神」のようなものは決して否定しない。そこらあたりが、キリスト教、引いては宗教のむずかしいところである。たぶん、どの宗教もその本物の中核は似ているのだが、いわゆる「宗教」というのはその外見こそそれなのだ。その「外見」としてのキリスト教というものは、わたしはあまり好きではなく、本書を読んでますます好きでなくなったというのは事実である。しかし、まあ人間などというものはある意味では何教徒でも同じようなもので、何教徒だから好きだとか嫌いだとかでは厄介なことになる。だから、LOVE & PEACE なんていうのも、バカにしたものではないのである。結局、有用なものはそんなものしか残らないのだ。だから、仏教の「無」も、LOVE & PEACE と和解できなければ本物ではないのであろう。いや、さすがにリハビリ中、下らぬことを書いてしまった。

中世の覚醒 (ちくま学芸文庫)

中世の覚醒 (ちくま学芸文庫)