こともなし

曇。

NML で音楽を聴く。■バッハのオルガン小曲集 BWV635-639 で、オルガンは椎名雄一郎(NMLCD)。■グリーグのチェロ・ソナタ イ短調 op.36 で、チェロはマーシー・ローゼン、ピアノはスーザン・ウォルターズ(NMLCD)。■カルロ・ジェズアルドの「聖週間の聖務日課のためのレスポンソリウム集 - 聖金曜日のためのレスポンソリウム」で、演奏はヒリヤード・アンサンブルNMLCD)。
 
昼から県営プール。多少気を入れて泳いだら結構しんどい(笑)。
ツイッター見てるとさっさとこの世からおさらばした方がいいという気になってくるね。どうでもいいけど。


ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098-1179)の「神の熱き思いは」、「かくていずこへ歩み行けども」、「わが故郷」、「デウス・エニム・イン・プリマ」、「なぜなら風は飛び行きて」、「ウルスラの血の声と」、「エト・イデオ・プエッレ・イステ」、「主よ憐れみたまえ(キリエ・エレイソン)」、「聖霊に栄光あれ」で、指揮はマルセル・ペレス、アンサンブル・オルガヌムNML)。

Bingen: Laudes de Sainte Ursule

Bingen: Laudes de Sainte Ursule

 
野呂邦暢を読む。野呂の文章を読み込んでそれを自分の奥底に秘めるに至るまで、彼を読み込むひとは決して少なくないと信じられる。わたしも、ようやく野呂邦暢の文章の魅力がわかってきたもののようで、まあ自分などはその程度の者だ。野呂邦暢では現代に対することはできないので、いつも渝わらず野呂が読めるわけではないが、彼の文章が体に入ってくるように読めるときは何ともいえない気分になる。それにしても、彼は四十代の始めで死んだのだ。どうして死んだのか、詳しいことは知らないが、あまりにも早すぎるとは誰でも思うことであろう。いまや世界で活躍することが当然とされる時代で、しかしそれをおこなう者は野呂など読むまい。彼はなぜか、諫早という地方都市にこだわった。ただの偏屈だったのか、それ以上のものがあったのか、それも自分は知らないが、彼の文学がその拘泥と不可分なのは誰でも知っている。さても、なぜか自分は野呂を読む。時々、いや、ほんのたまにであるし、そもそもいま読んでいる本も図書館のものだ。とても野呂好きとはいえまい。
Wikipedia で見ると、享年42。1979年、死の前年に離婚している。死因は心筋梗塞。)

大岡昇平を読む。