陶磁器をあれこれで東濃へ

晴。

甥っ子のお茶碗を買いにという名目で、家族で東濃東美濃)へ行ってきました。国道21号をずっと東へ、一時間と少しくらいで多治見です。東濃は陶磁器(美濃焼)の産地なので、岐阜県現代陶芸美術館というハコモノがあり、まずはそこを訪れました(下の写真)。いまは「フィンランド陶芸展」というのと「マリメッコ・スピリッツ展」というのをやっています。フィンランドの陶芸などというのはもちろんまったく知りませんが、なるほどやはりヨーロッパだなとは思いますね。洗練度は日本の陶芸の方がはるかに上で、そういうのよりは、むしろ一種の素朴さと最近流行りの「北欧的」デザインの感覚というか。土俗的なよさを感じました。ただ、明らかに日本料理とか和室には合わないかな。むしろ今風のオサレなカフェとかに似合いそうでした。
 マリメッコというのも自分はまったく知りませんが、フィンランドのアパレル企業にしてブランドであり、日本でも特に女性にはよく知られているそうです。なるほど、自分にはとても似合いそうにないですが、これも若い女性などに親和性がありそうですね。実際、若い母親らが小さい子供を連れて見に来たりしていました。



お昼は多治見中心部のそば処井ざわへ。最近よくある古民家をリフォームした如き店で、わかりにくいところにあるのですがどんどんお客さんが来ます。辛味大根おろしそば大盛を頂きましたが、文句なくおいしゅうございました。まことにいまやありがちなのですが、ネット情報様様ですね。
 ふたたびセラミックパークMINO 内の美濃焼ミュージアムへ。先ほどの現代陶芸美術館ではそれこそ美濃焼がまったく見られなかったのでここを訪れてみたのですが、入館料はたいそうお値打ちだったのに結構見ごたえがありました。若い作家の作品もなかなかでしたし、歴史的な美濃焼の実物が概観できてよかったです。僕は不遜にもそれほどとは思わないのですが、人間国宝荒川豊蔵も展示室をひとつ与えられていて、さすがに郷土の偉人という扱いでした。なお、ここのミュージアムは10年くらい前か、家族でかつて来ていて、自分ははっきりと覚えていました。また来るとは思わなかったけれど、ホントなかなかよかった。
 そうそう、東濃の山々は雑木がまだまだきれいに紅葉したのが見られました。これも楽しんだ。
 そして、今日の目的(?)である、道の駅 志野・織部へ。何で道の駅なんだと思われるかも知れませんが、ここの陶磁器ショップが結構すごいのです。さすがに陶磁器の里というところで、よいものがお値打ちに、そして量もかなりあって、陶磁器を冷やかすにはとてもよいのですね。もちろん甥っ子の茶碗をまずは選びましたし、僕は自分用にどうでもよい安い皿を買ったり。あとは家族分の丸い平皿とか、あとは「おかず味噌」等地元の産物など。ついでにイートインで珈琲+シュークリームの類を食ったりして、楽しゅうございました。
 高速を使わないと赤信号で休めるので楽は楽ですね。往復 100km ちょっとくらいだったかな。遊んできました。

魚雷さんのブログを読んでいて、大岡昇平小林秀雄』が中公文庫で出たことを知る。小林秀雄か。魚雷さんは小林秀雄、どうなのだろうな。わたしがたぶんいちばん繰り返し読んだ本は、小林秀雄全集だと思う。いまや小林秀雄がクソのような扱いをされているのは仕方がないことと思っているが、わたしにはさみしいことである。まあしかし、そういうものなのだ。開高健も若い頃よく読んだが、開高はいまでも読まれているのではないかと思う。あとは中沢さんだが、現在進行中の中沢さんの画期的な連載について誰も何もいわない。それも、そういうものだ。

野呂邦暢を読む。結局純文学でもエンタメでも、マンガでもアニメでも映画でもゲームでも何でもいいが、こういうものがあるかどうかなのだ。しかしその「こういうもの」を説明することができない。少なくともここには、わたしの欲しいものがあり、そしてこれが現代にはほとんどない。野呂邦暢のエッセイを読んでいると、彼は意外と楽観的であるように見える。その点では彼はどうしようもなくまちがっていた気がするが、まあしかしそんなことはどうでもよい。現代では野呂邦暢はまったくの贅沢品であり、これで現代に対することはできない。いや、それでも野呂を読む若い人は出てくるだろうが。趣味というものである。

ポストモダンをたわむれにすぎないと思っている人は別にまちがってはいないが、いまやとてもそれどころではないことを認識しておいた方がよい。どれだけ真剣にやってもネタほど注目されないのが現代である。真剣にやる人はいまでもたくさんいる。問題はそこからなのだ。幼稚さはすべてを駆逐する。

さても、幼稚なことを書いたわたしは寝よう。おやすみなさい。