吉本ばなな&河合隼雄『なるほどの対話』

日曜日。曇時々雨。
昨晩はぼーっとしているうちに寝てしまう。早起き。

このところ本が読めていないけれど、そのうちまた読めるようになると思います。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのロンド ニ長調 K.485 で、ピアノは野平一郎(NMLCD)。■バッハの3声のインヴェンション(シンフォニア)全曲 BWV787-BWV801 で、ピアノはシュ・シャオメイ(NMLCD)。■ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第七番 op.30-2 で、ヴァイオリンはヨゼフ・スーク、ピアノはヤン・パネンカ(NMLCD)。汲み尽くすということのない演奏だな。すごい音楽家がふつうのようにいた時代があった。■ライヒの「クラッピング・ミュージック」、「木片のための音楽」で、演奏はロンドン交響楽団パーカッション・アンサンブル(NML)。後者が超 cool。プリミティブともいえるポリリズムで、頭がおかしくなりそう。それからこの LSO Live っておもしろいレーベルだね。ロンドン響のライブを録音して CD化するというのなのだけれど、なかなか魅力的なタイトルがあってつい聴いてしまう。

Reich: Sextet/Clapping Music/M

Reich: Sextet/Clapping Music/M

モーツァルトのセレナード第十番変ロ長調 K.361「グラン・パルティータ」で、演奏は LSOウィンド・アンサンブル(NML)。好演。この曲は長い(50分近くかかる)のでなかなか聴けないが、好きな曲だ。ちょうどいまの気分にぴったり。木管のハーモニーが心地よい。
Mozart: Gran Partita

Mozart: Gran Partita

 


 
■バッハのゴルトベルク変奏曲 BWV988 で、ピアノは園田高弘NML)。75分を超える堂々たる演奏。自分はこういう演奏に出会うために音楽を聴いているのだと言ってもよい。園田のピアノは、味わい深い中身の詰まった音と、スケールの大きさ、奇を衒わないオーソドックスな解釈が特徴的である。特にかなしみに浸されたような澄明な音の魅力は強調しておこう。この人もまた二十世紀の大ピアニストのひとりだったのだと納得される。しかし、しんどかったですが。園田高弘はまだ聴かれてすらいないというのが正確なところではあるまいか。園田は既に亡くなっているが、まだこれから聴かれるべき存在であるといえよう。日本を代表するピアニストというのは伊達でないのである。


珈琲工房ひぐち北一色店。よしもとばななさんと河合隼雄さんの対談の続きを読む。深い話だなあ。現代を見通している。河合先生みたいな人はいまやまったく、ただのひとりもいない。河合先生が亡くなられたときに中沢さんがつぶやいておられたが、かなしいことに世界はどんどん貧しくなっていく。

風呂に入っていて自分にしては結構本質的なことを考えていたのであるが、これも河合先生に触発されたなと思う。人間、人生、そういったことをよく知っておられる、賢者のようなひとだったな。

自我というものがイリュージョンであることは仏教では基本的な事実であるが、これに従って自我を解体することはなかなか容易でない。例えばそれは、一切の自己肯定感なしで生きるということでもある。その過程では虚無の苦しみがあるが、それこそが煩悩そのものなのだ。凡人(つまりはわたくしである)というものはどうしようもないものであるな。

鴎外などは己が近代的自我をもっていないことを残念に思っていた。へんなものであるな、人間というのは。

まあ、他人にはどうでもいいことでしょうが。なお、自我がなくなるというのは自分がなくなるということではありません、老婆心ながら。関係の結節点としてのみ生きるという意味です。まあ現実にはゆらぎがあるので、無からの生成も起こり得るのですが。

しかし、それとは別に、敢て煩悩を残して生きるというのもありますね。このあたりは、現代的課題だと思う。一生救いはないのだが、敢てという立場。これは還相でないと意味がない。


図書館から借りてきた、吉本ばなな河合隼雄『なるほどの対話』読了。先日書いたとおり、読むのは二度目であり、おもしろかったし、コワい本だった。最近読んだ中では、もっとも深い本。特に内容については書かないけれど、いま読んでいたところでも、「自信がなくてはダメだし、でも天狗になってもダメ」とか、ぶんなぐられてしまった。まあ、僕は根底的に自信家なので、自信をなくすくらいのことを言っているくらいでちょうどいいのだが。とにかく、至るところに深淵が口を開けている本だが、たぶんほとんどの人はあまり気づかないだろう(自信だ笑)。たぶん、「ちょっとこれいい」くらいの感じなのだろうし、それでいいのだ。あと、これも至るところで炸裂する河合先生の下らない冗談が可笑しい。笑ってしまう。そんな本。ばななさんの小説、また読んでみたくなりました。表紙の二人の写真がいいね。おじいさんと素朴な田舎の孫とでもいう感じでね。

なるほどの対話

なるほどの対話

しかし、見る人が見ればわたくしの底の浅さははっきりしているわけだが。まだまだである。

「ふたつよいこと、さてないものよ」か。すばらしい言葉だな。