赤瀬川原平『背水の陣』 / 中村真一郎『随想集 文学的散歩』

晴。
空疎な感じ、続く。

NML で音楽を聴く。■バッハのパルティータ第三番 BWV827 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第九番 K.311 で、ピアノは野平一郎(NMLCD)。本当にすばらしい。■モーツァルト交響曲第三十六番 K.425 で、指揮はオイゲン・ヨッフムロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団NMLCD)。■ブリテンダウランドによる夜想曲 - 「来たれ、深き眠りよ」によるリフレクション op.70 で、ギターはエドゥアルド・フェルナンデス(NMLCD)。うーん、おもしろい。ブリテンの想像力は自分の未知の領域だ。新鮮である。


病院。診察があるかと思ったら、話だけで検査はなく、ついでに他日別の面倒な検査もすることになってそのことの説明とか、何やらかやでたったこれだけのことに一時間半もかかって疲れた。病院ってそんなものだな。
図書館。コメダ珈琲店各務原那加住吉店にて昼食。スーパー。

図書館から借りてきた、赤瀬川原平『背水の陣』読了。図書館で何も借りる気が起きなくて、ヤケクソで赤瀬川さんを借りてきたが、ナイスであった。ヒジョーに元気が出ました。赤瀬川さんというと、亡くなる少し前の、あまりにも元気のない様子がひどく印象的であった。病気のためではあったろうが、明らかにそれだけでもあるまい。本書は十五年くらい前の本で、「背水の陣」というのは、本書が「環境問題」を題材にということから付けられた題名であろう。環境問題とはあまり赤瀬川さんらしくなくて、本人も驚いているくらいで、まあ内容は環境問題に関係がないようでもあり、あるようでもあるというものだ。しかし十五年前、この頃でもこの国は既にこんな風なのだなと、ちょっと驚かされた。明らかに時代にいまへの流れがはっきり出ていて、冗談の赤瀬川さんが冗談からつい離れてしまうくらい、流れが明確になっている。いまはこれが激流になっていて、「赤瀬川さん的なもの」を日本から一掃してしまっていることは、わかっている人にはわかっているだろう。それにしてもこれはまだギリギリのところでなつかしい世界で、自分の中で死にかかっている部分に少しカンフル剤が当たった感じである。その効果には、我ながら驚かされるものがあって、これはとにかく生き延びることを考えないと、と痛感させられた。わたしはさすがにまだすぐ死んでしまうつもりはないのだから。とにかく、息が切れているところだったのだ。
 しかし、赤瀬川さんももはや急速に忘れられてしまいましたね。本書には赤瀬川さんらしくいろいろわけのわからない写真が収録されているのであるが、あいかわらずそのキャプションがおもしろい。この芸は、まだ死んでいない。というか、赤瀬川さんはいつか復活せねばならないでしょう。それだけのパワーは、充分にあると思う。それが若い人たちに届くように、祈りたいような気持ちでいる。

背水の陣

背水の陣

しかし、「背水の陣」とは、赤瀬川さんはよくわかっておられたのだな。自分は残念ながら、明敏でなかった。ことが明白になってからしか、気づかなかったのである。まあ、薄々予感みたいなものは、若い頃からずっとあったが、まさかここまでのことになるとは。


図書館から借りてきた、中村真一郎『随想集 文学的散歩』読了。これも今日借りてきたもので、楽しく読了した。中村真一郎はこれまであまり読んだことがない。三、四冊程度であろうか。まあわたしのごとき田舎者に中村真一郎がわかる筈がないのだが、これまでマチネ・ポエティクなぞ歯牙にもかけなかったのだから自分の生意気ぶりも呆れたレヴェルである。しかし本書を読んでみると、中村真一郎的ペダン pédant というのはなかなかに愉快なものであると思い知らされた。そもそもペダンというのはふつうは肯定的には使われない言葉であるが、自分は明らかにペダンチスムの愉しみというものはあると思うし、わたしもまた(低レヴェルながら)明らかにペダンたることはあると思っている。ペダンの中には林達夫のような本物もいて、それはそれはじつにかっこよいものであるが、中村真一郎などは微妙なところであり、自分にもそういうところがあるからわかるけれど、一種のハッタリ屋でもあろう。でも、ペダンとしてハッタリをかますというのは、不断のお勉強が必要で、中村真一郎の現実にはまったく役に立つことのない高踏的読書は、やはり端倪すべからざるものがあるというべきである。こういうのは、やってるな、よくやるぜみたいな愉しさを禁じ得ない。(もちろん、自分など中村の足元にも及ばないのである。)これも図書館にあるようだから、『木村蒹葭堂のサロン』も読んでみようかな。

随想集 文学的散歩

随想集 文学的散歩

しかし、自分にはこうした本物の文学の世界というものは本当にはわからない。というか、そうした教養も能力もなかった。わたしにはせいぜい小林秀雄であり、吉本隆明であり、柄谷行人であった。いずれも、むしろ文学的には貧しくて、圧倒的に深い人たちである。そして、小林や吉本はアジア人でもあった。わたしはそれを忘れない。

NML で音楽を聴く。■バッハのフルート・ソナタ変ホ長調 BWV1031 で、フルートは福永吉宏、チェンバロ小林道夫NML)。ちょっとおセンチな気分だったので、感動なくしては聴けなかった。この曲というとまず第二楽章のシチリアーノだと思うが、両端楽章だってすばらしい。じつをいうと第一楽章が聴きたかったのである。シチリアーノもすばらしいですけれどね。どうでもいいけれど、いつのことだったか、確か NHK大河ドラマの何かの中だったと思うが、このシチリアーノがピアノ・フォルテ(だったと思う)用に編曲されて流れていた場面があって、いまだにそこだけ覚えている。あれ、何だったのだろうな。

バッハ:フルート・ソナタ全集 (2CD)

バッハ:フルート・ソナタ全集 (2CD)

モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲 K.299 で、フルートはジャック・ズーン、ハープはレティツィア・ベルモンド、指揮はクラウディオ・アバドモーツァルト管弦楽団NML)。おそらくモーツァルトの中でももっとも天上的な美しさに満ち溢れた曲のひとつである。ため息しか出ない。またこの頃のアバドは本当に変った。ここまで感覚的な演奏をするようになっている。この曲はベームの録音がスタンダードだろうが、それに負けないくらい美しい。
Mozart: Flute & Harp Concerto, Sinfonia Concertante for Winds

Mozart: Flute & Harp Concerto, Sinfonia Concertante for Winds

ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」で、ピアノはタマーシュ・ヴァーシャリ(NMLCD)。ベルガマスク組曲は好きな曲。以前聴いたときも思ったが、ヴァーシャリというのはなかなかいいピアニストですね。ただこれ、NML に入れるときのミスではないかと思うけれど、「パスピエ」の冒頭の一音が欠落している。ちょっとびっくりします。■ジャック・オトテールの小品集第二巻 op.5 で、演奏はノーヴァヤ・ゴランディヤ(NML)。
Music at the court of Louis XIV (2CD)

Music at the court of Louis XIV (2CD)