晴。
何かギリギリの夢を見て気持ちが悪い。後始末もし切れない。
NML で音楽を聴く。■バッハのイギリス組曲第四番 BWV809 で、チェンバロはグスタフ・レオンハルト(NML、CD)。■パーセルの四声のソナタ第五番、第六番、第七番で、演奏はパーセル・クァルテット(NML、CD)。■スカルラッティのソナタ K.153, K.154, K.155, K.156, K.157, K.158, K.159, K.160, K.161, K.162 で、ピアノはカルロ・グランテ(NML、CD)。聴き出すとやめられないスカルラッティ。
昼から、ミスタードーナツ イオンモール各務原店。ホット・スイーツパイ りんごとカスタード+ブレンドコーヒー。フードコートの隣にある本屋で買った、岩波新書『ライシテから読む現代フランス』を読む。半分ほど読んだのだが、錯綜し過ぎていてわけがわからなくなってしまった。まず、「ライシテ」というのが一筋縄ではいかない。その多義性が本書では繰り返し指摘されているが、仮に「政治(あるいは公共の場)においては、宗教色というものを脱色すべきである」という考え方とでもいうべきかと、本書から自分は思った。「ライシテ」という言葉は日本ではほとんど流通していないと思われるが、そういう言い方をすれば、まあ当り前のような気が一応すると思う。宗教は私的なもの、別に問題ないじゃないといわれるかも知れない。しかし、そんなに簡単なことでもないのだ。例えば日本でもイスラム教徒に対する「ハラール」の尊重(イスラム教で食べてはいけないものは提供しない)は少しづつ浸透してきたが、ある種のライシテの立場だとそれは特定宗教に関係するから、学校給食などでそれに対応するのは間違った考え方になりかねない。それどころか、フランスではイスラム教徒の女性のブルカ(顔の前のヴェール)は、公共の場では排除されるべきだという考え方はむしろふつうなのである。また、イスラム教徒の女性は肌を露出させない特殊な水着を着てはいけないとか。さても、こんな感じだ。
上の例でわかるように、「ライシテ」とは一般的な概念のように見えるが、現在問題になっているのは特にイスラム教徒をどうするかという、特定宗教の問題が大きい。それに、さらにユダヤ教も関係してくる。(以下、わたくしの考えである。)この問題が厄介なのは、原理的な解決がほぼ不可能だからである。宗教的な多様性およびそのアイデンティティを受け入れるべきであるという命題と、ネイションは単色に統一されるべきであるという命題の、どちらが原理的により正しいともいえないからだ*1。そして、そもそも「ライシテ」というのは、その性質からして宗教に対する否定をどうしても含んでしまうが、人間というものはなかなか宗教から脱却できないものであるし、そもそも宗教から脱却した方がよいのかも、原理的に決定できるものではない。さらに、多様な宗教を認めるにしても、人間において完全な「寛容」はまた不可能に近い。というあたりのことがぐちゃぐちゃに絡まっていて、わたしの理解を超えている。まあ、さらに読んでみる。
伊達聖伸『ライシテから読む現代フランス』読了。上にいろいろ書いたけれど、本書の議論はもっと精緻である。結局能力不足と知識不足とで、本書をしっかり理解していないということになった。本書が最終的に何を主張したいのか、よくわからなかったのである。まあ、著者のような優秀な知識人が、よしなにやってくれるのであろう。自分ごときに何もいうことはないという感じがする。なげやりですかね?
ライシテから読む現代フランス――政治と宗教のいま (岩波新書)
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単純に言って、選挙権の存在しない日本人がいていいのかという話もあるしな。まあ、いまの天皇が「いい人」「立派な人」「思慮深い人」っていうのはそうだとは思うのだけれど。
『原民喜 戦後全小説』読了。
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