大栗博司『素粒子論のランドスケープ』

晴。
イヤな夢を見た。ネットを見てばかりだからなのだろうね。精神の貧困。

暑すぎて何もできない。夏バテにならない方がおかしいくらい。昼から寝ていたらもう夕方です。

NML で音楽を聴く。■バッハのイギリス組曲第二番 BWV807 で、チェンバログスタフ・レオンハルトNMLCD)。■バッハの幻想曲とフーガ BWV904、幻想曲ハ短調 BWV919、幻想曲イ短調 BWV922、ロンドによる幻想曲 BWV918、幻想曲とフーガBWV906 で、ピアノはアンドレア・パドーヴァ(NMLCD)。■ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第六番 op.30-1 で、ヴァイオリンはヨゼフ・スーク、ピアノはヤン・パネンカ(NMLCD)。好演。スークのヴァイオリンはもちろんなのだけれど、パネンカがまたよいのだよなあ。名手どうしのデュオで、じつに気持ちがよい。■オネゲル交響曲第五番「3つのレ」で、指揮はシャルル・デュトワNMLCD)。


図書館から借りてきた、大栗博司『素粒子論のランドスケープ』にざっと目を通す。大栗先生は僕の高校・大学学部の先輩に当たり、世界的に著名な物理学者である。本書のむずかしい部分は自分はもちろん理解していないが、一般向けの文章も少なからず収録されていておもしろかった。いま、日本の若い人たちは物理学についてどう思っているのだろうか。自分が教えていた中では、物理をやろうという生徒はひとりもいなかったが。「実学」志向の子が多かったな。

素粒子論のランドスケープ

素粒子論のランドスケープ

もっと理系本ナナメ読みがしたいのであるが、このところなかなかできていないなあ。これからの自分にまず役に立たないので、そこがよいと思うのだが、思うに任せず。


吉本隆明全集第13巻の『書物の解体学』の部分を読み切る。前にも書いたとおり以前文庫本で読んでいるのだが、覚えているところの方が少なかったし、それに前はまるで読めていなかったことが明らかだった。そう思うと、何十年かで多少進歩したのかも知れない。それにしても、あとがきや文庫版あとがきに当たる文章を読むと、吉本さんの自己評価の低さに驚いてしまう。語学が苦手だという吉本さん(自分などはそのレヴェルですらないけれど)が、翻訳で、それもたぶん大したものでもない(かも知れない)翻訳で、バタイユやミラーやユングを読まねばならないというやり切れなさを、吉本さんは隠そうとしない。そういう大物たちに全力でぶつかっていって、それで粉砕されたのか粉砕したのかは知らないが、その「格闘」がわたしの心を打つとポエムみたいなことを言って、しかし自分はバカにしているのでも何でもない。たぶん、外国語のよくできるいまの秀才たちからしたら、何の価値もない吉本さんの文章なのであろう。さみしいものである。しかし、よくもここまで粘り強くやったものだ。本書を書かせた編集者である故・安原顕は、「吉本さんは勘がいいんですね」と励まして(?)くれたそうである。そして思うが、吉本隆明は外国語にならない。たぶん永遠に日本でだけ(読まれるとすれば)読まれるのであろうし、自分はそのことをほとんど誇りにすら思う。愚かであると嗤われよ。

特に、ヘンリー・ミラーについて書かれたものには、返す刀でこちらがバッサリ切られた感じのするところがいくつかあった。剣豪・吉本にやられたな、と思う。