こともなし

晴。
寝坊。

NML で音楽を聴く。■バッハの管弦楽組曲第一番 BWV1066、第三番 BWV1068 で、指揮はフランス・ブリュッヘン、エイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団NMLCD)。

火野正平さんの「こころ旅」が今週は岐阜県なので、とりわけ楽しみにしている。ああやって映像で見てみると、濃尾平野でかいなとか、恵那の山奥よいなとかちょっとうれしくなる。変なものですね、愛郷心というのは。まあ岐阜というと高山とか郡上とか下呂温泉とかであるかなあであるが、他は特に何もないけれど(鵜飼?)、それでも自分の故郷なのだなあと思う。ウチのあたりは郊外化しつつある無個性な町ですけれど、それでもここしかないしな。それで何の不満もないね。

岐阜県といっても、自分はたぶん美濃の意識が強いのでしょうね。飛騨の人は岐阜よりも飛騨を意識しそうである。そう思うと、昔の国名というのは割と自然な区分な気もするな。僕は美濃に住んでいるのだけれど、飛騨は高級な感じがする。それから、美濃でも自宅からは離れた東濃とか西濃の方が文化的な感じがする。各務原って、人によっては自衛隊の飛行場だし、また何もない殺風景な土地と思う人もいるだろう。実際そのとおりで、自分の愛郷心がどこにあるのか不思議である。どこかにあるのだけれど。

いつも愛読しているブログで、四方田犬彦さんの「鳥を放つ」という小説が読まれていた。最近の文芸誌に掲載されたものということで、自分は知らなかった。ある意味ではかなりきわどい小説のようである。「実際にあった人事スキャンダル」の「東都大学」というのは東京大学で、「李家堂直輔」というのは中沢新一さんであろうか。僕はこの話もあまり知らなくて、ただ当事者の西部さん(だったっけ)の暴露的文章を読んだくらいだ。それはいいので、四方田さんであるが、自分の印象ではこの人、かなり悪口を言われる人であるというそれがある。この小説も、ちょっとブログ記事を読むと露悪的な印象で、また人から嫌われるかも知れないなと思った。でも、自分はそんなこともまあどうでもいい。四方田さんは自著をあまり文庫本にしないので、文庫本の人であるわたしはあまり読んでいないのだけれど、図書館から借りて読んだものも含め、おもしろくなかったものはひとつもない。特に外国を訪れるものが好きで、いつもすぐに現地で親しい知人を作ってしまう能力には魔術的なものを感じる。現代思想的な本はまあそこまで好きではない。この人、何でも楽々こなしてしまうのが嫉妬を買うのじゃないか知らん。でも、吉本さんは四方田さんを最大級に評価しておられましたね。『先生とわたし』とかはめっちゃおもしろかったが、自分でこれは嫌われると思いながら書いたのではないだろうか。今回の小説はさらに露悪的っぽいのだろうか。やけくそなのか何なのか、四方田さんはどこへ行ってしまうのか。どこかで出会ったら読んでみたい小説である。

ちょっと吉本さんを思い出したわけだが、吉本さんはひどい罵倒をする人で、吉本ファンの僕も罵倒はもちろん好きでないのだけれど、吉本さんは嫉妬というのはまるで、これっぽっちもない人だったというのは理解されているだろうか。まあ変な話、吉本さんは自分の能力を正確に知っておられたし、他人の能力もすぐわかってしまう人だったので、そういう人はたいてい嫉妬しないものである。例えば浅田さんなどを口を極めて罵倒したが、『構造と力』の本質的な新しさに素直に驚いたのをまったく隠しておられない。嫉妬ってのはいやなもので、自分のことはまあどうでもいいのだけれど、自分がアホだと気づいてからあまり他人の才能に嫉妬しなくなったように思う。でも、自慢癖はなかなか治らない。これ、むずかしいですね。承認欲求と共に、凡人はある程度しかたがないのじゃないかな。

わかっている人には当り前のことだが、学者とか芸術家の世界というのは、すごい嫉妬の世界である。それはいまの若い人たちでも同じですね。子供みたいなもので、自負と嫉妬をまるで抑制することもなく見せつけていて、じつに不思議な感じがすることはしょっちゅうである。あれって、わざとやっているわけではないのかな。知識人というのでバカになれる人というのはほとんどいなくて、例えば僕は山形浩生さんはあまり好きな人ではないのだけれど、意識的にバカになれていてそれは本当にリスペクトする。でも、山形浩生さんの飛び抜けた頭のよさと率直さを尊敬する人はたくさんいても、バカになれる(stay foolish)ところをマネする人はほとんどいなくて、わかってないなあという感じ。まあ僕なんかはただバカなんですけれど。

あんまり書きたくないけれど、ネットもすごい嫉妬の世界ですね。自分のブログの過去記事も、それを免れていない。なかなかね。ここでちょっと弁解しておくと、僕がネットを見ていてむかつくのはそれほど嫉妬ではないと勝手に思っています。無意識の嫉妬はあるかもしれないけれど。たぶん、人間を信じていないとはいいつつ、まだどこかで人間に期待しているからそうなるのだと思う。また吉本さんだけど、吉本さんはある人に「まだ絶望が足りない」と言った。この言葉はよく思い出します。上から目線っぽくてごめんなさい。

ああ、どうでもいいことを長々と書いた。ちょっと気が弱くなっている。

昼過ぎ、ものすごくひさしぶりに県図書館へ行ってみた。母の入院のときに返却に行って以来である。酷暑。初めて二階の郷土関連の棚から借りた。高校の先輩に当たる、世界的物理学者の大栗先生の本があるからだ。他にもいろいろ興味深い本があって、こういうのはさすがに県図書館だなあと思った。それから田村隆一全詩集を借りたのだが、分厚すぎて貸出の機械で借りられなかった。なのでカウンターで借りる。あと、アエネーイス、川村二郎訳のヘルマン・ブロッホエリアーデ著作集、吉本さんの全集など。ハードなのばかりなので読めるかな。たぶん一部しか読めまいな。