石牟礼道子『綾蝶の記(あやはびらのき)』 / ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ(上)』 / デイヴィッド・シルヴェスター『フランシス・ベイコン・インタヴュー』

晴。
図書館から借りた本を延滞しすぎて叱られる的な凡庸な夢を延々と見ていて何なのこれはみたいな感じ。あまりにも凡庸すぎた。いまでも何か精神が薄っぺらな感じで不愉快である。

NML で音楽を聴く。■バッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻より第一番 BWV846〜第八番853 で、ピアノはシュ・シャオメイ(NML)。バッハをピアノで弾いたものを好む人には、シュ・シャオメイはお勧めできる。奇を衒ったところがまるでなくて、正攻法の気持ちのよい演奏。なかなかこういう仕方で成功し得るものは少ない。

Well Tempered Clavier-Book 1

Well Tempered Clavier-Book 1

モーツァルト交響曲第三十五番 K.385 で、指揮はダニエル・バレンボイム、イギリス室内管弦楽団NML)。何というフレッシュな演奏! たぶんこの曲のベスト演奏を選ぶ際は誰も挙げないようなそれではあろうが、若さの魅力に惹かれざるを得ない。多少強引で薄っぺらくはあるが、爽快でいきいきとしているところが何とも魅力的である。自分はある時期からのバレンボイムはどうしても好きになれず(理由はわからない)、聴き始めても途中で止めてしまうことが多いが、この頃のバレンボイムはじつにフレッシュだ。同じ EMI に録音した、モーツァルトのピアノ協奏曲全集も CD でもっていて一時期は本当によく聴いたものだった。じつは、村上龍に教えられたのですけれどね(笑)。
Symphony Nos 32 35 36 40 & 41

Symphony Nos 32 35 36 40 & 41

ラヴェルの「グロテスクなセレナード」、「ソナチネ」で、ピアノは阿部裕之(NMLCD)。何とも見事なラヴェル。まさしくこう演奏してほしいというような。

コメダ珈琲店各務原那加住吉店にて昼食。ミックストースト+たっぷりブレンドコーヒー。おいしゅうございました。
マックスバリュ


図書館から借りてきた、石牟礼道子『綾蝶の記(あやはびらのき)』読了。まとまったことなど書けないので、思いつくだけ。一。石牟礼さん、若い頃に三度自殺未遂しているのか。坂口恭平さん(この人も若いのに深いひとだ)との対談で語っておられた。自殺が全うされていれば全文業がなかったわけだから、かろうじてこの世に留まられたことはやはり何かの働きであったような気すらしてしまう。一。白川静先生はこれまで興味がなかったわけではないが、松岡正剛氏が絶賛していたり、そしてどうも非科学的という世評に影響されて手に取らなかったのだけれど、石牟礼さんの読みを見てやはり読もうと思う。それに石牟礼さんが伝えておられるが、白川先生は東洋が滅びつつあることをはっきりと自覚なされていたということで、それも深く心に残った。東洋学を意識された上でのお仕事だったのだ。一。梅原先生はいうまでもないことながら、やはり本物であらせられるな。石牟礼さんの喜びよう。一。『梁塵秘抄』、再読してみたい。しかし石牟礼さん、たんに感覚だけのお人でない。後白河法皇の像がこれほどくっきりと心に刻まれているとは。学術的な成果が大いに踏まえられている筈。大岡信氏の後白河法皇像も見事であったが、それとも微妙に異なるあざやかな像である。まあ、自分にはあまりにも高い世界で、たぶん碌に読めはしないだろうが、それでもね。一。しかし、日本ももうおしまいだなというのが、あらためて納得されるな。先人たちと後世の人たちに申し訳もない気持ちで情けなくなる。自分はホントに何もできなかった。無力であった。

綾蝶の記

綾蝶の記

自分は石牟礼さんが読めているとは思わない。だいたい、ただ活字を眺めているようなもので、読んでなどいないのだ。しかし、機会があればもっと読みたい。全集は図書館にあるのかな。買えばいいのだろうけれど、なかなかなあ。

いやまあしかし、日本がおわりつっても、次の世代はあらわれるし、またちがう日本が続いていくのですけれどね。それはそれで、たぶんすばらしい日本なのでしょう。知らんけど。

ブルガーコフ巨匠とマルガリータ(上)』読了。

 
デイヴィッド・シルヴェスター『フランシス・ベイコン・インタヴュー』読了。
フランシス・ベイコン・インタヴュー (ちくま学芸文庫)

フランシス・ベイコン・インタヴュー (ちくま学芸文庫)