小林秀雄を読む

曇。
だらだらと深夜まで起きているの、いいかげんにした方がいいかな。朝が遅くなる。

NML で音楽を聴く。■バッハの管弦楽組曲第二番 BWV1067 で、指揮はフランス・ブリュッヘン、エイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団NMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十五番 op.28 で、ピアノはヴィルヘルム・ケンプNMLCD)。
 

暑い。

図書館。活字には毒があるということで開高健は「字毒」とか言っていた気がするが(言ってなかったっけ?)、このところ図書館にその「字毒」を感じる。大量にある本の背表紙を見ていると、気が滅入ってくるのだ。でも、まあ今日もだいぶ借りてしまったのだけれどね。石牟礼道子さん関連を何冊か。
スーパーとか他にいろいろ。帰ってきたらもう午後五時。


小林秀雄の(旧)全集第五巻『ドストエフスキイの生活』読了。
源一郎さんは本など碌に読んだこともない学生たちにいろいろ読ませてみて楽しんでいるが、その中で例外的にひとりの生徒も好かない作家が小林秀雄だという。誰も、何でこの人、こんなにエラソーなのといって、毛嫌いするらしい。まあ、そんなものなのであろうな。本を読まない学生たちに限らず、いまや小林秀雄について肯定的に語る若い文学者、思想家はまずいない。それこそ、ちょっと前に読んだ若松英輔が稀な例外であるくらいだろう(しかし、若松はもう若いとはいえないかも知れないね)。そして、自分は若松の本はすばらしいとは思ったが、自分の読み方ではないなとも思った(当り前だ)。小林秀雄はその文章に心血を注いだ人であったが、もはやその文章が現代人にとって魅力を発揮しなくなっていることを認めざるを得ない。ま、自分はどうしようもない時代遅れなので、いまでも小林秀雄を読んで感銘を受けるのですが。そう、文学者としての小林秀雄は既に死んだ。しかしまた、死んだがゆえに、まったく新しい読み方をする若い人が、将来出てこないとも限らない。若松英輔などは、その先駆者かもしれない。それらが自分にわからないであろうことは、とても残念ではあるのだが。

いまや「ロマン主義者」というのは最低の蔑称で、小林秀雄はまさしく現在そう呼ばれる存在である。ついでにどうでもよいが、自分もまたそれであろう。ロマン主義者。哀れな間抜け。

しかし、いくら事実だからといってこんなにクラいことばかり書いていてもしようがないな。前向きに行こう。