加藤節『ジョン・ロック』

雨。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ協奏曲第二番 op.19 で、ピアノはマウリツィオ・ポリーニ、指揮はオイゲン・ヨッフムNMLCD)。いい曲であり、いい演奏だな。■モーツァルトのミサ曲ハ長調ドミニクス」 K.66 で、指揮はヘルベルト・ケーゲル(NMLCD)。不思議な体験をした。この曲を聴き終えて、ああよく聴いた、40分くらい聴いたかなと思って確かめたら、たったの14分あまりの曲だった。狐につままれたようで、何度もチェックしてみたがまちがいない。何だったのだろう。■スカルラッティソナタ K.8, K.9, K.10, K.11, K.12, K.13, K.14, K.15 で、ピアノはカルロ・グランテ(NMLCD)。

だらだらと四時間近くも昼寝。我ながら呆れる。
といっても、昼寝は人生が短くなる以外、いいものではあるまいか。

しかし、寝て起きて睡眠の後始末をしているうち、また寝る時間がくるということになっているな。ウロボロスの輪であるか。

加藤節『ジョン・ロック』読了。副題「神と人間の間」。何度も書くけれども、現代において「神は死んだ」というのは基本的大前提である。それがわかってない思想は、現在において何の役にも立たない。それを著者はわかっていないようである。まあいいのだが。現在においてニヒリズムはほとんど克服不可能である。その上で我々は、我々が生き延びる道を探っていくしかない。それがじつは不可能な道でも、それしかないのである。これはもとより、自分だけの認識であるにしても。あまっちょろいことを言うのも大概にせよと言いたくなる文章が多すぎる。

ジョン・ロック――神と人間との間 (岩波新書)

ジョン・ロック――神と人間との間 (岩波新書)

パスカルは「神なき人間の不幸」と言った。もちろんパスカルは神を信じていたから、というより神の存在を確信していたから、神を信じぬものの愚かさを語ったのだ。パスカルは正しいが、しかしじつに「神は死んだ」のである。哀れむべし。


中村元氏の訳した「原始仏典」を読んでいる。このところしばしば dis られているというか、バカにすらされている中村氏だが、それが正しいのか自分は知らない。いまや仏教というと、一部では精緻なテクスト批判・解釈というものに成り果てていて、宗教としての生命力が絶たれようとしているようにも見える。一方でしかし、日本にはまだまだ偉いお坊さんが存在することもまた事実なのではある。ただし、そういう方々は決して現在の日本の仏教のメインストリームにはいない。
 話が逸れたが、自分は「原始仏典」にそれほど仏教を求めているわけではない。自分には、「原始仏典」を生かす力がない。でも、本書に収録された「仏教説話」は、自分にはかなりおもしろく感じられる。そもそも『往生要集』も『今昔物語』も、「仏教説話」であって、それをおもしろがっていけないということはないだろう。それで、自分のような知恵の足らない人間が説話の仏教的効能に救われたって、そういうことがあってもいいのではないか? まあ、まだそこまでいっていないのですけれどね。叱られるかも知れないが、お話がおもしろいのですよ。ブッダdeus ex machina になって、仏教の奇跡がこれでもかって語られている。じつに(仏教にとって)都合のよいお話ばかりで、現代人から見ると説得力は 0 なのであるが、そのこじつけぶりがなかなかである。言っておきますけれど、僕はまずまず敬虔な仏教徒ですからね!