レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』

雨。
昨晩はひさしぶりに深夜までコーディングをしていた。やはりプログラミングって悪くないですね。

NML で音楽を聴く。■バッハのパルティータ第五番 BWV829 で、ピアノはシュ・シャオメイ(NMLCD)。シュ・シャオメイのバッハ、よかった。これからも聴くだろう。■ブラームス弦楽四重奏曲第三番 op.67 で、演奏は東京Q(NMLCD)。これを聴いていると自分の底の浅さが浮き彫りになる。ありがたい。■シューベルトのピアノ・ソナタ第五番 D557 で、ピアノはワルター・クリーン(NMLCD)。
 
どうでもいいのだけれど、「××はモノローグだからダメで、オレたちはダイアローグだからよい」みたいな決まり文句があって、これで簡単に他人を貶められるという便利さ。最近読んだうんこたちもいっぱい使ってたね。モノローグだってよくバカにされる典型が小林秀雄。まあ自分なんかは小林秀雄とは比較にもならぬのだが(当り前である)、自分もどう思ってもモノローグだな。誰か批判してくれないか知らん。しかしこれ、誰が流行らせたのかな。柄谷行人あたり、よく使っていたね。

にゃん。

okatake さんも幸田文か。幸田文、このところ(極一部界隈で)よく見かけるなあ。でも、わかる気がする。黙ってやるべきことをやった本物ということなのかな。ちょっとちがうか。うまく言えないな。
本物が前景に来ない時代だものね。表に出ているのはうんこばかり。本物がいないわけではないのだけれど。でも、もうそのうちにいなくなる。

ウンガレッティを読み返す。つくづく訳詩を読むむずかしさを感じる。第一詩集『喜び』を特に繰り返し読んでいるのだが、翻訳で読んでいるかぎり何も言うことはできない。これは日本語の詩とするのは無理なのではないかと思うのもある。たとえば画期となったとされる「砂漠の金の麻」は、私にはほとんどわからない。もっともこれは、自分だからわからないのかも知れない。これらは第一次世界大戦時に塹壕の中で書かれたものであるが、発表の意志がなかったというのはそのとおりであろう。たぶんウンガレッティは、塹壕内で肉片と化した自分と同じく詩篇たちも粉々になってしまうことを確信していたような気がする。実際、第一次世界大戦時の塹壕戦は、ただただ兵士たちの命の限りない消耗にすぎなかった。ウンガレッティが生き延びられたのは、まったく運がよかったというしかなかったのだろう。以上、無意味なおしゃべりである。

それにしても、ウンガレッティがモダニズムから離れた詩人であるというのは、これは訳されたものを読んでいるとほとんど驚きである。自分は、例えば日本の「戦後詩」の現代性とそれほどのちがいを感じないのだが(きちんと読めていないのか)。これは、原詩の韻律が翻訳不可能であるせいが大きいのか。確かに我々も、日本語の韻律詩である俳句だと、なかなかモダニズム詩と称することはむずかしいかも知れない。厄介なことである。

通院治療。あと少しになってきた。


普段は Linux Mint を使っているのだけれど、時々 Windows も使うので仕方なくウィルスバスターを更新。早く更新しろってうるさいのだよね。それにしても高いなあ。ウィルスバスターのせいで本当に Windows が遅くて(同じマシンで Linux Mint を使うので、差は歴然としている)、しばしばフリーズするし、もう世の中の大部分が Windows を使っているからどうしようもないけれど、何とかして欲しい。Windows はもう少しまともな設計にすればいいのに。Windows Update も勘弁してもらいたい。何で Debian の apt みたいにいかないの? それに、エンコードはもういい加減に Shift_JIS は滅んで欲しい。ふつうに UTF-8 でしょう、いまは?

それに、日本では特に何でも Excel で、これがプログラミングの普及を妨げている。「神 Excel」とか、もう勘弁して欲しい。自分は Microsoft Office はもっていないが(いや、少し古い Windows 7 用のはもっているけれど)、こればっかりでしょう。しようがないなあ。

図書館から借りてきた、レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』読了。村上春樹訳。チャンドラーは『ロング・グッドバイ』をこれも村上春樹訳で読んで感動したので、フィリップ・マーロウもの長編第一作を読んでみた。『ロング・グッドバイ』は全篇に悲哀の雰囲気があったが、本作ではマーロウは結構かっこつけで、タフを気取ってちょっとイタいところもある。また、ラストはいかにも取ってつけたようで、なんとも拍子抜けさせられざるを得ない。マーロウへの依頼も、すべてわかってみると、は?という感じだ。また、訳者も述べているとおり、ミステリーとしてのプロットはそれほど緻密でない。(誰によって殺されたか最後までわからない人物もいる。チャンドラーは伏線を回収するのを忘れていたようだ。)ということで、自分は本書は『ロング・グッドバイ』には及ばないと思うが、しかし以上の欠点があっても、この小説はなかなか魅力的だと思う。マーロウが意地を張り続けるのは依頼人の心情を汲んだからで、そこではマーロウはまったくぶれていない。本書最後の執事との会話が、自分は本書のクライマックスだと勝手に思っている。さすがにホロリとさせられました。結論的にいうと、読んで満足しています。村上春樹の翻訳も、いろいろいう人はあるけれど、現代的でよい文章であるのは明らかだ。他のチャンドラーの村上訳も読んでみたいと思っている。

大いなる眠り

大いなる眠り

しかし、ミステリーでの無意味な殺人は、どうも自分には苦手である。本書でも、すべてわかったあとでの最初の殺人は、じつに無意味なものだ。それだから、ある登場人物が特殊な性癖であることが要請されている。どうも、そうした不自然さが気になってしまうのだ。これでは、おもしろいことはわかっているのだが、なかなかミステリーが読めませんな。