ポリーニの新譜を聴く / W・G・ゼーバルト『鄙の宿』 / ハンナ・アレント『政治の約束』

雨。

このところの自分のブログを読み直してみると、陰陰滅滅という感じだな。普段はそんなにクラくないつもりなのだけれど、まあマジメな本を読むとクラくなるね。よくもこんなブログを読んでくれる人が(少しだけ)いるよ。ありがとうございます。


バッハのイギリス組曲第五番 BWV810 で、ピアノはアナトリー・ヴェデルニコフ

ポリーニの新譜落手。Made in Czech Republic の CD だった。曲はドビュッシー前奏曲集第二巻である。ポリーニは自分にとって特別なピアニストで CD が出たら買わざるを得ないが、聴いてみてさて困った。あまり言いたいことがないのだ。確かに若い頃の完璧な技巧はないが、おじいさんにしてはよくやっている方だと思うし、曲の把握力、演奏の明晰さは相かわらずである。随所にポリーニらしさは確かに聴かれる。しかし、それだけのことではあるまいか。ここには「モダンの臨界点」も、「最後のピアニスト」も不在である。たぶんこのディスクも、近年のポリーニの録音と同じく何度も繰り返して聴くことはないと思う。そして、これはどうなのか危惧していたが、ポリーニはあるときから壊れてしまったけれど、ここでもそれは変わらず壊れたままであった。何となく、やっぱりなと思う。「白と黒で」は息子とのピアノ・デュオであった。さて、これがポリーニ最後の録音になるのだろうか。

Debussy: Preludes II

Debussy: Preludes II

ポリーニはうまく齢をとることができなかったな。ここには晩年の境地というものはない。ただ壊れたピアニストがいるだけだ。

図書館から借りてきた、W・G・ゼーバルト『鄙の宿』読了。鈴木仁子訳。ゼーバルトはそんなに好きな作家というわけではないが、少なくとも『アウステルリッツ』と本書には脱帽という他ない。本書は小説ではなく、作家論集である。取り上げられているのは、ケラー、ヘーベル、ヴァルザー、メーリケ、ルソー。ルソー以外は日本ではそれほどよく知られているとはいえない作家たちである。そしておもしろいのは、ゼーバルトが彼らの特に「不幸」について執拗に書いていることだ。ゼーバルトはひとの不幸に惹かれる質であったようである。中でも、ローベルト・ヴァルザーは、正真正銘の敗残者であった、本書からはそう読める。正直言うと、自分は本書の中で、このヴァルザーについての文章以外はほとんどどうでもいいのだ。それほど、ゼーバルトの筆で描かれるヴァルザーの人生は悲惨であり、異常であり、強く惹きつけられるものがある。まあこれ以上は書かないが、ヴァルザーは翻訳もあるようだ。機会があれば是非読んでみたいものである。

鄙の宿 (ゼーバルト・コレクション)

鄙の宿 (ゼーバルト・コレクション)

どうでもいいが、自分はメーリケの小さな原著をもっているのだよね。ドイツ語はすっかり錆びついたし、たぶんこののちも読むことはない気がする。


ハンナ・アレント『政治の約束』読了。

政治の約束 (ちくま学芸文庫)

政治の約束 (ちくま学芸文庫)