日曜日。晴。
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昼から米屋。
図書館から借りてきた、南嶌宏『最後の場所』読了。副題「現代美術、真に歓喜に値するもの」。著者の遺著ということになる。自分は現代美術にもまったく冥く、著者のこともまったく知らない。たまたま図書館の新刊コーナーにあったので借りてきただけである。それでこの真摯で才能ある美術評論家に出会うことができたわけだ。前にも書いたが、レトリックが達者である。真摯さとレトリックの巧みさが組み合わされば、向かうところ敵なしというものであろうか。しかし自分には多少の疑問が拭えないというのが本音である。どうもこのひとの文章は、レトリックが巧みすぎて、上滑りするところがあるような気がする。いや、というよりも、現代美術とはまさに「言葉」そのもので、そしてその「言葉」が上滑りしているのが現代美術なのだ。とにかくおしゃべりが好きなのだ。そう疑問を呈してみたい気に駆られる。著者はどこまでも現代美術の枠の中で語っている。その現代美術を批判する言動すら、現代美術の内部にあるものだ。いや、その論理は破綻するか? 自分は知らない。そういえば、「コンセプチュアル・アート」という言葉があったが、いってみれば現代美術はすべて「コンセプチュアル・アート」ではあるまいか。まあ、そんなことは自分にはあまり関係ないのだが。
しかし、いずれにせよ読むべき美術評論家であるというのは次第に確信されている。というか、何にも美術について知らなくて、何で自分はこんなエラそうなことを書いているのか。それこそ疑問に感じ出した。傲慢ついでに言っておくと、巻末の「編集委員あとがき」は、どれもこれもヌルい弛んだ文章で、はなはだ無残である。ご愁傷さま。はは。
- 作者: 南嶌宏
- 出版社/メーカー: 月曜社
- 発売日: 2017/11/03
- メディア: 単行本
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畑村洋太郎『技術大国幻想の終わり』読了。副題「これが日本の生きる道」。「ブ」の 108円本。まあ悪くない本ではあった。これまでの成功にあぐらをかいていてはいけない、日本人は傲慢になっている、御尤も。仰るとおりである。でも、インターネットをぶらついている暇人なら、特に驚く話はないのではないか。細部はなかなか読ませるのだが、情報が多少古いし。海外で日本製品を売りたかったら、現地のニーズを本当に知る必要があるということで出ていたのが、韓国のサムスンには現地の生活に溶けこませて、徹底的にその国の文化を知るというための社員がいるというような話で、こういうのはおもしろかった。さすがに現場を見るのがモットーの学者先生の知見だと思った。まあ、自分がそんなことを知ってどうするのかということであるが(笑)。アップル社すごい、ジョブズすごいということで、iPhone を分解してみる話とかも。しかし、日本人は「価値」というものを考えないと外国のひとに言われて、眼からウロコが落ちた先生は何なのだ。そんなことも知らなかったのかという感じ。で、そこで「価値」はお金であると考えてみようとか(芸術だってお金に換算されるし、そういうことが日本人には苦手なのだとか、よくもそういうことが言えるよ、恥ずかしい)、これも何なのかという感じ。そりゃお金で買えない「価値」はほとんどないかも知れないが、現地の人の言っていることはそういうことではないでしょう。あなたたち、何のために生きているの? という話だと思う。たぶん先生は、そんなこと考えたこともないにちがいない。そして大部分の日本人もそうである。いや、日本人だってそれなりの価値観がない筈がない。それは、死ぬまで快楽中枢を刺激し続けてすごすということであろう。え、ちがったっけ?
技術大国幻想の終わり これが日本の生きる道 (講談社現代新書)
- 作者: 畑村洋太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/06/18
- メディア: 新書
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なお、多くの場合ひどいアマゾンのレヴューであるが、本書に関していえばだいたい仰るとおりという感じだった。皆さんおおよそ冷静である。