小池昌代『幼年 水の町』

晴。
イヤな夢を見る。しようもないことばかりしているからね。


ベートーヴェン交響曲第二番 op.36 で、指揮はマリス・ヤンソンス、BRSO。別にすごいわけではないけれど、これで充分なのだよね。


モーツァルトのピアノ協奏曲第二十四番 K.491 で、ルドルフ・ブッフビンダーの弾き振り。

アバド指揮のブランデンブルク協奏曲の演奏を車で聴けるようにしたのだが、老母にうるさいから止めてくれと言われてしまった。残念。

昨日寝る前にもの好きにも「独自ドメイン」について調べてみたのだが、「.tr」とか無料で取れるのもあるのだな。ただ、無料のは扱っている業者の胸の内次第で、独自ドメインは安定性がなけれれば意味ないものだから、やはり有料のものの方がいいようである。「.com」とかでも年間千円程度のドメインもある。まあ「.com」などは空きが少ないだろうけれどな。でも、独自ドメインって本格的にネットをやるならあった方がいいだろうけれど、別にそこまでしたくもないのだよね。ネット世代なら名刺代わりみたいなものだろうか。


昼からネッツトヨタで半年点検。待っているあいだ、テレビのワイドショーの音声を聞きながら、小池昌代を読む。『幼年 水の町』というエッセイ集で、図書館で借りた。小池昌代を読むのはほとんど初めてなのだが、詩人の詩をまず読まないで、また先に散文を読んでしまったと思う。空気のような、透明な散文とでも形容されるのであろうか。ウェブ連載を単行本化したもののようであり、子供の頃の思い出が、少し棘のあるような感じで回想される。先生の思い出も多く、どれもあまりその先生に対して肯定的ではない。思い出の中の著者自身に対しても、あまり肯定的でなく、かと言って何ということもない風で淡々と語られる。何だか女性的なイヤさがあって(いやらしさではない)、そこがおもしろい。たぶん子供の頃の著者は、みずからの女性性をしっかりと肯定できなかったかのようで、そういう女性は結構いるのではないかという気がする。では男性ならどうか。さて、自分のこととなるとよくわからないものだ。

幼年 水の町

幼年 水の町

一時間ほどですべて読んでしまい、iPad に入れてあるマンガを読む。ワイドショーは下らないが、ネットの方がもっと下らないかも知れない。知れにゃいなあ。

上のエッセイ集に、子供の頃は空を飛ぶ夢も落ちる夢もたくさん見たのに、いまは見ないとあって、ああそうだなと共感した。落ちる夢は確かによく見たし、飛ぶというか、まったく自由自在に機動できる感覚を堪能したものであるが、近年は絶えて無い。このところは、見た理由のわかる中身の浅い夢が増えて、つまらない感じがする。そういう夢を見る理由も、だいたいわかっている感じがして、さらにつまらない。精進精進。