綿矢りさ『しょうがの味は熱い』

晴。
昨晩は中沢さんを読んで寝た。あんまり中沢さんに頼ってはいけないと思うと同時に、中沢さんをなるたけ消化しないとと思わせられる。井筒先生とは中沢さんがそんなに若い頃から交流があったのだな。井筒先生は中沢さんの中に颯爽たる若武者の姿を見られたとか。すばらしい話だと思う。


モーツァルトのフルート四重奏曲第二番 K.285a で、フルートはオーレル・ニコレ、ヴァイオリンはジャン=ジャック・カントロフヴィオラはウラディーミル・メンデルスゾーン、チェロは藤原真理。名手たちなのだが、全然ふつうなのがよい。いかにもうまく弾くなんて野暮はしないのだ。


バッハのブランデンブルク協奏曲第四番 BWV1049 で、指揮はクラウディオ・アバド。2本のリコーダーの澄んだ音色が心地よい。それにしても何という好ましい演奏だろうか。アバドはいつからこんな指揮者に変貌したのだろう。バリバリ活躍していた頃は、知的で射程も広いがどこか音楽の楽しみが欠けているようなところがあったけれども、いつ頃からか深くて気品のある演奏をするようになった。この演奏でも、これまで聴いたこの曲のもっとも好ましい演奏のひとつと思える。しかし、映像を見ているとじつにつつましい指揮ぶりなのだけれどね。ほとんど、簡単にテンポをとっているだけみたいなそれなのだけれどなあ。


ショパンマズルカ嬰ハ短調 op.30-4、嬰ハ短調 op.63-3 で、ピアノはアナトリー・ヴェデルニコフ。たった2曲ですか。もっと聴きたいな。マズルカってショパンでもっとも深いのだが、なかなかまとまって演奏されないのが残念。

okatake さんのブログがいい感じ。岡崎さんの本はこのところ読んでいないのだが、いつか少しづつ読みたいところだ。

昼から県営プール。暖かくて人がたくさん来ていた。車外は12℃もある。


田中秀臣先生の記事。僕は田中先生のことが好きではないが、こういうことを書かれるからリスペクトせざるを得ない。それにしても「子宮頸がんワクチン」に対するメディアの対応は(あいかわらず)ヒドいもので、言語道断である。「子宮頸がんワクチン」にリスクがあるにせよ、そのメリットはリスクを遥かに上回ることが研究ではっきりと示されているのに、マスコミはいまだに非科学的な反「子宮頸がんワクチン」キャンペーンをやって恥じることがない。自分たちのやっていることがいかに犯罪的か、マスコミは完全にわかっていないのだ。まったく絶望的な国であるな、日本というのは。エビデンス(客観的な事実)が通用しない国なのだ。

しかし、自分の世代のエリートたちは何をやっているのだ。かつて同世代のエリート候補生たちをたくさん見てきたが、頭はよくてもじつに無知幼稚で自分で考える力のない奴らしかいなかったものである。いまの日本を凋落させているのは奴らではないのかと邪推している。ああ。

そうか、Ruby の「25歳の誕生日」か。まつもとさんのツイッターの TL が世界中からのお祝いと感謝のツイートで埋め尽くされている。ちょっと感動的なのが結構あるな。世界中で愛されているのだな、Ruby は。Ruby を知って初めてプログラミングが楽しくなったみたいなのが結構あって、自分もまったく同じだと思った。DHH なんかも素朴なお祝いのツイートで、いい感じ。しかし、日本人はどうも意地の悪いことをいうやつが少なくないのだけれど。こちらのかん違いなのか。やだね。

散歩。

綿矢りさ『しょうがの味は熱い』読了。うーん、これは見事な短篇二つ。綿矢りさ、やはりすごい才能だな。この人は本質的に短篇作家なのではないか。本書では結婚適齢期の若い男女を等身大に描いて、間然とするところがない。三年間同棲しつつ、結婚できない。女の方が飛び出して実家に帰るも、三箇月経って男が迎えに来、女は今度は両親と衝突して男と東京へ帰る。そんなまあ自分にはどうでもいいような小説であったが、「我々はみんなこう下らなくも平凡なのだよ」というふつうのぐちゃぐちゃっぷりがリアルだ。いや、こんなの本当の恋愛じゃないよとかいう人もいるだろうし、そういうのもわかるが、恋愛なんて人の数だけ多様性があるものであって、また同時にどれも代わり映えがしないのがたぶん現実なのだろう。その上でのリアリティがすごかった。綿矢りさは結局こうした等身大小説を一生書いていくのかもしれないし、またそれが吉な気もする。まあ、自分にはほとんど関係のない世界なのだけれど、それは自分が変人だというだけのことであらしゃいます。ほほ。

アマゾンのレヴューでは絶対にくそみそに貶されているぞと期待して(?)覗いてみたが、意外と皆さん好意的でへーと思った。たぶん、女性の読者が多いのであろうし、同性には反発されそうだと予想していたのだが。いつもの爆発がないってレヴューがあって、ああ確かにそうかも。男の背中に蹴りを入れるようなシーンはなかったですね。いや、著者もたぶん「大人」になったのですよ。小説家として。ああ、どうでもいい。