こともなし

日曜日。晴。


ラヴェルの「クープランの墓」で、ピアノはヴラド・ペルルミュテール。これはじつにすばらしいラヴェル。ペルルミュテールはラヴェル弾きとして名高く、ラヴェルに直接指示を受けていたということでまさしくラヴェルピアノ曲の権威であるが、これを聴くと宜なるかなと思わされる。いや、それらすべてを忘れて虚心坦懐に聴いても、最高級のラヴェルであることは疑いない。ラヴェル以外のペルルミュテールってほとんど知らないが、とにかく優れたピアニストだったことがこれからわかる。歯切れがよくて清潔、しかしコクのようなものもちゃんとある。技術も確か。


ヒンデミットのチェロ・ソナタ(1948)で、チェロはナターリヤ・グートマン、ピアノはアナトリー・ヴェデルニコフ


シューマンのピアノ・トリオ第一番 op.63 で、ヴァイオリンはアレクサンダー・シュナイダー、チェロはパブロ・カザルス、ピアノはミェチスワフ・ホルショフスキ。へー、こんな録音があったのか。名手たちだな。いいなこれ。

昼から酒屋。カルコス。山下達郎の「サンデーソングブック」の特集ということで、初めて「BRUTUS」を買った。って僕、山下達郎で音楽に目覚めたくらいなのに、「サンデーソングブック」を聴いていないのですよね。モグリだ! でもこの雑誌については新聞広告で見ていて、さらにいつも巡回しているブログでも紹介されていたので、迷わず買った。いま、お茶しながらパラパラ見ています。本当に自分はポピュラー音楽を知らないな。一気に読んではもったいないので、ネットなどで調べながらゆっくりと読みたい。

BRUTUS(ブルータス) 2018年2/15号No.863[山下達郎のBrutus Songbook]

BRUTUS(ブルータス) 2018年2/15号No.863[山下達郎のBrutus Songbook]

 
一家が近所まできたのでちょっと寄っていった。しかし甥っ子たち、スマホでゲームばかりですな。何か聞かれても上の空という感じ。


僕と山下達郎の共通点というのはまあほとんどないわけだが(笑)、唯一あると思われるのは、ヘッドホンで音楽を聴くということ。達郎さんは自分の音楽はヘッドホンで聴くと最高に聴こえるように作っているみたいなことを昔から仰っている。僕は音楽を聴き始めたのはとにかく達郎さんからだから、直接影響を受けたわけではないけれど、自然とそうなっていったかのようである。あと、「ウォークマン」世代だし。いまの人に「ウォークマン」って言ってもわからないかも知れないな。 もう iPod すら時代遅れなのだから。おお、我が SONY! である。という感じで、クラシックも何もかも、一応オーディオ機器もあるのだが、いまだにヘッドホンなのである。だから、それでは音楽などわかるまいといわれたら肯うしかありませんね。ただ、ある程度はいいヘッドホンを使っているつもりですが。学生の頃はオーディオショップで、店員が「これはプロが使うやつですよ」みたいなのを購入して使っていた。いまは BOSEQuietComfort 15 というノイズキャンセリング・ヘッドホンを使っている。まあそんなにすごいものでもないですが。

あと、達郎さんというと、教授(もちろん坂本龍一氏)が仰っていたことに、彼はクラシックの現代音楽の作曲家になっても、ユニークな存在になったろうというのがある。この言葉はよく思い出します。僕は音楽理論をきちんと勉強していないのでダメなのだが、達郎さんがポピュラー音楽の枠組みの中でいろいろユニークな試みをたくさんしていることは承知している。クラシックの作曲家が和声システムの崩壊時にやったことと、実質的に同じような試みをしているということなのですね。ただ、達郎さんはいわゆるアルチザン(職人)的なタイプで、自在にさらりとカッコよくやっているという点がユニーク。まあこういう話は、ボロが出ないうちにやめておきます(笑)。もう出てるって(爆)

自分が達郎さんを聴き始めたのはたぶん小学校5年生くらいのときで、友達のお兄さんがたまたま聴いていたのを、偶然聴くようになったのです。70年代の最後ですね。「CIRCUS TOWN」「SPACY」「GO AHEAD!」「MOONGLOW」の四枚のアルバムが決定的でした。小学生から中学生というときで、そんな齢で何を聴いていたのかといわれるかも知れませんが、スポンジが水を吸うように吸収したのだと思います。いまこれらを聴いても当時のように感銘を受けるので、人間など本当に変わらないものだと呆れます。僕の山下達郎は、結局はこの四枚に尽きるのです。学生のときも、どれくらい聴いたかわかりません。それこそウォークマンで、ローカル線を乗り鉄しながら聴いていたりしたのを思い出します。既にクラシック音楽にもどっぷり浸かっていたのですけれど。

CIRCUS TOWN (サーカス・タウン)

CIRCUS TOWN (サーカス・タウン)

SPACY (スペイシー)

SPACY (スペイシー)

GO AHEAD! (ゴー・アヘッド! )

GO AHEAD! (ゴー・アヘッド! )

MOONGLOW (ムーングロウ)

MOONGLOW (ムーングロウ)

沖縄・名護市長選挙は現職の稲嶺進氏が敗北した。特に何をしたわけでもないけれど、パヨクとして自分も敗北感を覚える。これは名護市民にとって経済を取るという苦渋の決断だったのか、それともポジティブに辺野古への基地移設に賛成したのか、自分にはわからない。田中秀臣先生は次のようにツイートしておられる。


つまり、仮に辺野古への基地移設に反対であっても、生活や経済の方が大事なのだと。確かに、基地移設に反対して飢えたらどうだとは、我々はいえない。生活が大切なことは当たり前のことである。もっとも、僕は田中先生は、たぶん名護市民の選択は苦渋のものである、という可能性を否定されているように邪推する。まあしかしこれは、根拠のない誹謗中傷の類かも知れないな。それから、田中先生の別のツイートにあったが、特に当選した渡具知氏へ投票したのは、圧倒的に若い人たちだったという。これはなるほどという感じだ。未来のある若い人たちが、基地問題よりも経済を重視するのはある意味当然かも知れない。ただそれは、こう言うのは負け犬の遠吠えのように響くが、若い人たちが基地を受け入れているということでは必ずしもないと思う。むしろ、屈服したのだ。金というよりは、本土の意志に。いや、こういう言い方は名護の若い人たちに失礼なのかも知れないけれども。俺達は主体的に基地が欲しいんだ、あるいは基地問題なんてどうでもいいのだ、というのが沖縄の若い人たちの真意なら、パヨクは潔く自らの時代遅れぶりを認めよう。

それにしても汚い選挙だった。毎日ツイッターで見ていて正視に耐えない感じだった。ありとあらゆることがなされた。え、きれいな選挙なんてあるの?といわれれば、まあないのかも知れんな。


このツイートに対し、「民意は示された」というリプライも多くある。さても、自分にはよくわからない。これからも沖縄を注視していくしかない。いずれにせよ、自分には敗北感がある。ちっぽけな一市民に過ぎないが。