アントワーヌ・フランソワ・プレヴォ『マノン・レスコー』

晴。
現代アートみたいなすごく奇妙な夢を見る。あんまり無意識が出てくるのは危険なことは知っている。しかし、現代アートってやっぱり意味あるのかな。あんまり馬鹿にしてはいけないのかも知れない。


モーツァルトのピアノ・トリオ ト長調 K.564 で、ヴァイオリンはユーディ・メニューイン、チェロはモーリス・ジャンドロン、ピアノはベンジャミン・ブリテン


三善晃のピアノ・ソナタ(1958)で、ピアノは田原富子。いやいや、三善晃おもしろい。うるさい部分は御愛嬌だけれども、響きがきれいな音楽だ。もっと聴きたいね。それから、田原富子というピアニストはまったく知らないが、相当にすごいことは一目(?)瞭然。すでにお亡くなりになっているらしいが。

田原富子を検索していてあるブログにたどり着いたのだが、この人も生きづらいひとのようだ。音楽は相当に聴けている感じ(上から目線のつもりではありません)。でも、希死念慮がところどころに出ていて、ああと思う。ブログの最後の更新から一年以上書き込みがない。変なことになっていないのを祈る。

田原富子は1994年に50歳で急逝したらしい。検索してみるとぽつぽつと引っかかる。一般に発売されたディスクは下の一点のみ。これほど弾けるひとが、どうも不公平な(誰が?あるいは何が?)話だと思わずにはいられない。

 

シェーンベルク組曲 op.29 で、指揮はピエール・ブーレーズシェーンベルクが少しわかってきた。脳みそにどんどん沁み込んでくる。

昼から仕事。

アントワーヌ・フランソワ・プレヴォ(アベ・プレヴォ)『マノン・レスコー』読了。野崎歓訳。うん、おもしろかった。しかし、いまとなっては荒唐無稽な恋愛小説というべきである。惹句に「不滅の恋愛悲劇」とあるが、本書は確かに悲劇だけれど、さて皆さん結末を読んで感動させられるであろうか。正直言って、まるで劇画かエンタメ映画のようで、何というか、取ってつけたような結末であるし。もちろんかつては読者の紅涙を絞ったのであろうが、とても自分はそんなわけにはいかなかった。マノンは確かに不埒な女かも知れないが、主人公のデ・グリュが貴族のどうしようもないお坊ちゃんで、マノンにきちがいみたいに入れあげてイタいこと夥しい。はっきりいってアブナイ奴であり、個人的にはあまり関わり合いになりたくないタイプの男である。まあ話はつぎつぎと大騒ぎが起こるのでその興味で読んでいられるが、感情移入なんて不可能である。そもそも恋愛って、こんな火の玉みたいなものなの? 自分のような恋愛音痴には理解の外である。ただ、このような小説がもてはやされたような時代があったというのは留意しておいていいことかも知れない。そもそも本書をもちあげたのは「ロマン派」だからな。いや、いまでも「ロマン派」は広く普及(?)しているわけだが。

マノン・レスコー (光文社古典新訳文庫)

マノン・レスコー (光文社古典新訳文庫)

野崎氏による翻訳はいつものごとく読みやすいもの。訳者解説も勉強になる。しかし、謹厳なるアウエルバッハ先生とかフェミニズムとかが本書について小難しいことを言っているのだな。まあ好きにしたらいいけれど、本書のようなジェットコースター的エンタメに対して何もそんなにマジメに語らなくてもいいのに。余計なお世話か。それにしても、古典新訳文庫は外国文学に関しては岩波文庫の価値を下げたな。どんどん外国文学の古典の読みやすい新訳を出し続けている。