『荘子 全現代語訳(上)』/ポリーニの新譜を聴く

曇。
荘子 全現代語訳(上)』読了。池田知久訳・解説。同じ講談社学術文庫版から読み下しと訳注を削除したものらしい。いまどきだなあ。

荘子 全現代語訳(上) (講談社学術文庫)

荘子 全現代語訳(上) (講談社学術文庫)


ポリーニの新譜を聴く。
ショパン・アルバムである。op.59 から op.64 という、ショパンの短い生涯の中では最晩年に位置する作品たちが、ほぼ作曲順に並べてあるという趣向だ。自分はポリーニに思い入れがありすぎるので、このディスクの評価は無理である。まず、衰えたといわれる技術だが、ポリーニの意図を表現するには問題のないレヴェルにあるといえるだろう。しかし、いつごろからかははっきりしたことはいえないが、ポリーニは「壊れて」しまったけれど、それは変っていない。明晰で端正な演奏であるのはそうであるけれど、相変わらず「壊れた」ままである。それを措けば、マズルカやワルツなどの深い曲に妙があるといえるだろう。マズルカ op.59-3, op.63-3、ワルツ op.64-2 あたりは、その演奏の深さが聴かせる。もし可能であれば、マズルカ全曲の録音も聴いてみたいくらいだ。しかし全体としては繰り返すが「壊れて」おり、聴いたあとこちらの精神にある程度のケアが必要になる。あまりふつうの音楽愛好家には勧められない気がする。
Chopin: Late Works Opp 59

Chopin: Late Works Opp 59

ポリーニは「壊れて」しまわなければ、例えばリヒテルのように晩年になっても豊かな演奏活動ができただろうにと残念に思わないでもない。晩年のリヒテルは全盛期のような猛烈な演奏はしなくなったけれど、楽譜を見て弾くようになってレパートリーがものすごく広くなり、簡素ながらじつにおもしろいバッハやモーツァルトを弾くようになった。あれはあれで、全盛期とはまったくちがった、至宝ともいうべきすばらしい演奏が残ったと思う。ポリーニにはそういうことは許されていなかった。長年ポリーニにつきあってきた者としては、確かに残念である。