晴。
寝坊。
バッハのトッカータ ホ短調 BWV914 で、ピアノはクララ・ハスキル。
モーツァルトの交響曲第三十六番 K.425 で、指揮はカルロ・マリア・ジュリーニ。1982/7/19 Live.
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昼から図書館。いまひとつ元気なし。スーパー。ドラッグストア。
図書館から借りてきた、高橋源一郎『大人にはわからない 日本文学史』読了。どうも以前読んだことがあるようである。「ようである」というのが既にテキトーであるが、読んだはずだ。と読んでいて思った。まあそれはどうでもいいが、どうも源一郎さんは自分にはついに権威になってしまったなと感じた。どうも言っていることがすべて正しいという他ないような感じがする。何だか文学は終ったというようなバカがいるけれども、じつは樋口一葉と綿矢りさは同じ。確かに。赤木智弘と石川啄木は同じ。確かに。ところで、赤木智弘っていまではもうほとんどの人は忘れているよね。90年代に日本語の OS が替った。確かに。でも源一郎さん、ウィンドウズはビル・ゲイツがひとりで作ったんじゃないですよ(たぶん一行もコードを書いていない筈である)。という具合で、すべて正しいのだ。のではあるが、自分にはじつはやはり文学は終ったような気もしてきている。というかこのところ、人間は信用できないし、人生は生きるに値しない、そういうことが根本にあるのが「文学」という気がし出したのである。じつに古くさい文学観だし、自分がかならずしも人間を信用していなくて、人生は生きるに値しないとだけ思っているわけではないのだが。しかし、自分がそのように思っていなくても、事実はまた別なのではないかと思うようになった。しかしまあ、もう小説なんて何でもいいというふうになってきたのが正確なところかも知れない。いや、そんな投げやりな感覚を吹き飛ばしてくれる、おもしろい小説を期待しております。小説ウェルカム。
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いまの小説家たちは、まあマジメでふつうの人が多いですよね。いやあ、ホッとするなあ。
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夕食後に寝てしまう。12時前に起きて読書。
トーマス・マン『ファウスト博士(中)』読了。ますますおもしろい。中でもレーヴァーキューンの手記は、食事のために一気に読めなかったのが残念なくらいだった。なるほど、これがあるがゆえに「ファウスト博士」なのだな。ようやくわかりました。マンの記述のしちめんどうさには呆れるが、これもまたじつに読んでいて楽しい理由のひとつである。どうもふつうにエンターテイメントと呼ばれる小説は実際にはこれほどこちらを entertain してくれないことが多い。別にエンターテイメントを腐すわけではないが、たいていはもっと幼稚でうんざりさせられてしまうこともあるから。しかしマンが俗衆に自分の小説がわかる筈がないと思っていることも明白で、俗衆のひとりとしては複雑な気持ちにならざるを得ないこともまた否定しがたいけれども。
- 作者: トーマス・マン,関泰祐,関楠生
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